伸びと、支えがある
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力を使っているとき、やっていることを言葉で表現してみます。
動きにくく、固さがあると思ったら、
動く指示の言葉についてもちょっと考えてみるとどうでしょう。
動き続けていたら、少し留まってみることもできる。あるいは長く。
速くを、ゆっくりにできる。
握っている手を、緩めてみることができる。
握っている、持っている、動きの様子の変化する瞬間を観察してみる。
頼りないかもしれないけれど、ふっと動きが変えられたその時、
新しい情報がやって来ます。
やっていることをやめられる、これは難しく感じられることがあります。
動きに意識を向けてみる時に、ちょっと反対方向への動きを思うことも試してみて、
留まっても大丈夫、緩めても大丈夫、そう思えたら、
文字どうりちょっと手放してみる、その氣づきは新しい動きを生み出します。
実際、うまくいったり心地よく出来たとき、
あ、これでいいんだ・・・
という感じなのです。
やっている感じがしない、ということもあります。
筋紡錘という感覚センサーは、伸ばされた時に情報を得ることができ、
緩んだ感覚情報から、バランスを支える拮抗する動きが生じます。
例えば、うとうと眠り、ガクッとなってハッとするときの、感じです。
危険がないように立て直しますね。
また、顔の表情が緩んだら、どんな情報が来るでしょう。
ほっとした・うれしい、そんな時、瞬時に顔の筋肉も動きます。
表情のない・固い時は、何か警戒していたり、考え込んでいるかもしれません。
相手の表情を見る時にも、その情報を得て何らかの反応をしています。
社会的な関係性の中において、安全を確保するために働くシステムです。
身体の動作は骨を動かしています。
骨を動かすときに、筋肉は主に縮める働きをします。
拮抗する動きの、反対の作用に伸ばされることで元に戻ります。
伸ばされる作用とバランスしあって働きます。
関節のたたまれたり、回されたりの可動性は関節の形状に関わっています。
関節での動きの組み合わせが複雑な繊細な動きを作っています。
関節を動かすのは筋肉ですが、筋肉を含む身体の有機的な組織は様々な層を作って関わりあっています。
筋肉の繊維は小さな束があり繊維質に包まれて、それをさらにまとめた束になって、それぞれの部位の働きごとに名前が付けられていています。
筋肉繊維、筋肉をまとめる組織、脂肪層、皮膚は深層の真皮から表皮と多層構造になっていて、その中に神経の組織も存在します。
筋膜他、繊維質の層は私たちの体を様々につないでいます。
そう考えると、骨格を支える組織、動かす組織、神経の組織、それらを包んでまとめている様々な層が、一緒に働いているとわかります。
このことから、いつでも自分全体で、動きはつながっているといえるのではないでしょうか。
どこか引きつった時には、これらが何かしらの作用で関わりあって引っ張られているのですね。
肉離れというのを経験したことがあるでしょうか。
わたしはストレッチで内ももを痛めたとき、すごく痛かったです。
当初は筋肉痛と勘違いしていましたが、回復に時間がかかり半年以上痛かったので、小さな部分の肉離れだったのかと、あとでわかりました。
筋肉の繊維の小さな束の組織がプチンと切れている状態でしょうか。
わたしは、その時、10代の女の子と組んでストレッチしていました。
お互いの感覚や柔軟性が違うのだから、決して自分と同じと思ってはいけないとわかりました。
なので、急な勢いをつけたり、ギューッとやってはいけません。
最近テレビでも取り上げられるという「ファシアfasia」、興味深い~。
これを少し学んでみると、動きやすさへの理解が変わってきました。
自分の全体がつながりがわかりやすくなります。
自分全体の包んでいる様々なものをゆったりとする。
ゆったりしつつ、自分全体の周りの空間に広やかに包まれている。
グーンと力を使えたら、ふっと緩める。
そこからゆるゆる伸びる。
伸びたところから縮めなかったら、ヒューンと伸びる余地がまだありました。。
伸び伸びするとき、これらのつながりに働きかけているということです。
伸びていくようにするには、空間・外へと拡がっていく方向性を思って動くことを考えます。
筋肉は縮むことで骨と関節を動かしています。その反対の作用する側を伸ばします。
縮むのに、なんで伸びるの?という疑問で混乱しますね。
伸ばされたものを維持し支える働きも柔軟性といえるでしょうか。
身体の柔らかい人はこの可動性が大きいのです。
この拮抗する働きがあり、やりたいことについての必要な動きを意図していくこと、
その動きが起きるように、必要ない収縮をやめられるのかに関わります。
伸びて長くなる(方向性の意図がある)動きから、
それをふっと止めることができる、双方向の張り(支え)のつながりで、
ここからまた次へと(切り替わる瞬間があって)動いていける。
アレクサンダーテクニークは自分全体への気付きから必要な動きを意識していきますが、
ファシアや、神経系の働きも少しずつ学んでみると、
「自分全体」というときのつながりは実際の感覚として広がり、
動きへの信頼が増していくように思います。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。
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興味深いです
『包まれつつ包む』
福岡伸一著
動的平衡
「西田哲学を読む」