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動きはじめについて、意識してみましょう。

さあ、やりましょう。というときに、動く前の静かな時間はありますか?

必要なことが起きるために、いろんなことを静かにしてみましょう。
頭の中の考え、
手や脚はどんな様子でしょうか?


考えや動きを静かにして、
ではこれからこれをやろうと、
選んで、
それをやると決めて、
そして動いてみます。


そのようにやってみて、
やり直す前にすこし時間をとってみましょう。

気付いたことはありますか?
何か違う選択がありそうでしょうか?


少し静かにして、
また選択肢があることを思いながら、
また一度選んで、
あらためて決めて、
そしてやってみましょう。


おすすめは、どうなるかやってみよう。という実験です。
どうなっても大丈夫です。
こうしようと思って、こうなった、という体験です。

もっと違うようにやりたい思いが見つかると思います。
1回目と、決めなおした2回目は、どんな違いを見つけられるでしょうか。

その違いは、考えたことによって明確になったでしょうか。

小さな変化の選択は、やる・やらない、の小さな決定の練習になります。
やる前に、決めなおす。


ちょっとしたことで練習します。

信号待ち。
渡る?渡らない?待つ?行く?
何時でも行けるように待っていて、
行くと決めていく。
そんな感じ。

バスや電車を降りる時、いつ席を立ってドアに向かうか、
周りの状況、車両が止まってドアの開くまでのタイミング、
何時でも行けるけれど、立つタイミングを待ってみる。

電車に乗る時、列に並んでいて、
降りる人を十分に待てて、周りの人とうまく折り合いをつけて、
いつでも進めそうにしている。

そんなことをゲームみたいに観察すると、
結構忙しく動き出したくなるのに気が付きます。
じれったく指先が動き出しているかもしれません。
脚が前に、出たがっているかもしれません。
一呼吸おいて、立ち上がる。
もう少し、待ってみる。
動き出したくなる身体のどこかがあるかしら。

周りの動きに反応して一緒に動いてしまうこともありますね。
この辺がなかなか興味深いところです。


この空間で、周りの状況が見えていて、
いま、静かな時間を持つこともできる。
いつでも動き出せそうにしている。

頭のてっぺんから指先・足先まで、
自分全体を思い出して、
自分の選択肢があることを知りつつ、
意識的に動き出してみよう。

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

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レッスン時の一場面から思うこと。


「疲れた~」と言うことがありますか?
普通に使っているでしょうか。


これを連発する人がいる場面で、思うことがあります。
何がその言葉を言わせるのでしょうか?

わたしは疲れを感じなくなってきたので、この言葉がもうほとんどいらないと思うほどです。
それは「疲れた」という意味の内容が変わったのでしょう。


だいぶ以前書いたことがありましたが、3時間近いミュージカルの公演での演奏を終え、楽屋へ引き上げる足取りで氣が付いたのです。
むしろ心地よく整って、元気になっているように思えました。
弾いているときだけではなく、弾いていないときの過ごし方が関係していると思います。

わたしは可能ならピアノ椅子で演奏しますが、背もたれのない箱型椅子が好きで、座面のクッションがしっかりしていて、ギシギシしないからです。
楽器を弾かない時、楽器を身体から離すことも多いですが、すぐに弾けそうな身体でいた方が、ずっと楽なのです。
弾かない態勢にしたら楽だとしたら、弾いている態勢に無理があるということもあるかもしれません。
弾きながら休める、弾いていないときに動ける、この両方を丁度よく行ったり来たりしたいです。


楽器を構えるということでは、自分が楽に動き出せそうに座っている、そこへ楽器を持っていきたいです。
ああそうか、と思えるとだんだん工夫ができます。
「疲れるやり方をしていたな」とわかってくるのです。


アレクサンダー・テクニークを学ぶ中で、気が付くことが増えていきますが、それは、今自分が何をしているのか?についてです。
始めのうちは「なんのこっちゃ?」「どういうこと?」でゆっさゆっさ揺さぶられる感じです(笑)

先生はとてもていねいに、その時の自分と向き合うように寄り添っているのですが、そうすることで「こうである」と思っている「正しさ」「限定」を「今やりたいことについて」「大切さ」の方へ向かわせてくれます。
こう書いても微妙すぎてわかりにくいですね。


例えば、車のアイドリングストップというのをどう思いますか?
エネルギーと環境への影響という問題なのか、効率・経済という側面なのかなどいろいろ論点はあるところでしょう。
信号停止でエンジンが止まり、発進時にエンジンをかけなおすひと手間において、発進を意識的にするという安全性は高いと思います。
動き出すために、発進する瞬間に備えているのはもちろんですし、車の機能も敏速で少ない時間で再起動します。


さて、楽器にまつわる「構え」とか「姿勢」というところにそれぞれの考えがあるわけです。
楽器をもって、あるいは脇において「弾かないでいる」ときに何をしているか、何に備えているのか、これも演奏にまつわるシーンといえるでしょう。
楽譜にメモを取ったり、お話したり、静かに聴いていたり。

そこで、「疲れた~」という言葉を聞くときに、「あらあら、たいへん」と思ってしまいます。
ご本人は休みたいと思うような大変なことをしていたと、言っているわけです。
それがどんな様子の時かというと、だいたい椅子に崩れ落ちたようになっています。

そこからまた起き上がって、やる気になるのは大変だろうなと、こちらも思います。
気持ちだけでなく身体も、立て直すのは結構エネルギーがいるんですよね。
アドバイスとしては、その都度、今どんな風になっているかに氣づいてくことです。
今そこからどんな風にしていけるか、思い出し、考えてみるのです。



ある小学生の生徒さんとレッスン後に、振り返りノートを書く時間を持っています。
鉛筆をもって、今日何に取り組んだか思い出してもらいます。

以前からノートに崩れ落ちるようになっていたので、背中にそっと手を当てると、
「あ、姿勢よくしなくちゃ」と思うみたいで起き上がってきますが、
「そうね、思い出してね」「その方が様子がいいわね」なんてたびたび言ってみます。
先日、触れなくても思い出してやってくれてました。

ほっとするひと時にも、自分の在り方を思い出すことができたら。
その様子は、見ていて美しいなあと思わせてくれる瞬間なのでした、

帰り道、足取りが軽やかだったら、ちょっと嬉しい。



最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。


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