前記事 [自然に 1・ 2]に、続きます。


見る。音を聞く。

アレクサンダー・テクニークとのつながり。
ビブラートについて。



先生の言葉と、関連する私のメモから。

  『』はカサルス氏のことば
  VM「」はヴィヴィアン・マッキー先生
  JAはジョー=アームストロング氏

   y:私の補足ガイド・コメントです。
    特にキーワードになりそうなところを太字にしてみました。



VM

彼がやることを私自身の目を通してずっと見続けるように要求されました。
y:カザルス氏とのレッスンでは楽譜を使わなかったため)

彼の観察をただ続けると言っても、誰かが「上に伸び」ていくのを見続けながら、自分だけ「上に伸び」ないでいるのはすごく難しいということがお分かりでしょう。
どうしても何らかの影響が生じます。


y:
>ヴィヴィアン先生の授業メモより

上に伸びていくことは注意力を高める。
すなわちコーディネーション(頭と脊椎の関係から身体全体へのバランス)を高める


VM

カサルス氏はチェロ演奏にワークしていただけでなく、私全体とワークしていたと、確信しています。

アレクサンダーレッスンが始まった後で、カサルス氏もずっと「自分の使い方」に対してワークしていたと気がつきました。

それから当然ですが、カサルス氏は私の耳に素晴らしいものを降りそそぎ続けてくださいました。

レッスン中、耳をそばだてる以外できない状態で仕込まれました。


カサルス氏と学び始めたばかりの頃は、とにかく音を聞き分けることさえできない状態でした。

・・・しかし学びが進んで聴き分けられるようになってくると、とてつもない可能性が広がってくることが分かりました。

強い刺激がやってきたときや曲中で次の音に移行するときにも、
ずっとずっと可能性が広がってきて、最適な音が選べるようになってきました。



y:
>ヴィヴィアン先生の授業メモより

聞くことの可能性がもっとある。

最初の音、そして次の音。
音は次の音に向かって育ち展開していく。

一音一音を生きぬく。
その道をたどって次の音へ行く。

「今」は音の中にどれくらいある?
今の音が育っていく時、一緒にいる。



VM

私が初めてアレクサンダーのレッスンを受けにいったときのことです。
先生は私のやり方を止めました。

誤ったやり方をするのを何度も何度も止めるカサルス氏のようでした。

今振り返ると、カサルス氏は伸びて行きながら、つまり「上に行き」ながら演奏していました。
彼の優れた全体性によるものでしょう。

音楽に高い要求を求めていたから、いつでもあらゆる刺激に対してうまく対応するようにしか、彼はやらなかったのでしょう。

そうなると、自分がカサルス氏に学んだことは、本当に長い目で見るとアレクサンダー・テクニークから学んだのと同じ道筋にあったようです。



y:
>ヴィヴィアン先生の授業メモより

うまくいくかどうか悪い心配をしてしまう時、やることはいっぱいある。

上にあがっているようにしていたら忙しいし(自分のあり方を方向づけていたら)
ただ上に向かっていれば、そのほかのことは起こらないもの。

自分の全部を演奏に注ぐ。

ただ首を自由にして、全部自由にしてパニックを取り除く。
自分に加える、押しつけるもの、びっくり反射を除く。

首に起こることを止めてあげる。



VM

ビブラートの問題はありましたし、その原因は、弦を奏でる際に自分が、
特定のやり方で指を接触させていたからでした。

腕が動くやり方も関連する問題でした。

ひどいビブラートの問題が自ら解決し調和したのは、驚くべきことです。

逆に言うと、指を弦に接触させる状態が不適切で不正確で理不尽なままであるのに、改良を進めようと特別にビブラートの練習をしたとしても、単なる時間の無駄に見えます。



y:
>ヴィヴィアン先生の授業メモより

指の感覚を、もっと実際の弦と弓と毛の感触に。

指が、考え・選び・決める。
神経学的に、「細胞ごと考える能力がある」という仮説もある。



VM

カサルス氏から学んだことは、何たる非凡だったのでしょう。

初期の段階で、正確に正しい時に正しい場所へ正しいやり方で正しい指を置く、すると必然的結果としてすべての事柄が生じると、自分が教わっていることはあまりにも基盤的なことに思えて魂を直撃しました。

「正確さは楽譜から抜き取って」、耳で聞こえるようにして初めて得られます。


JA

筋肉の動作を通してということですか?


VM

はい。それに加えて精神的な正確さも必要です。

同じ事柄の両面に過ぎず、両方が不可欠です。

・・・自分の一番深いレベルで起きた体験がキラキラ輝きだします。

正しい音を正しい時に奏でること、単にそれだけなのに、確実に根っこまで関係します。

自分自身がそこまで関わらずにはいられなくなります。



y:
いかなる人間活動のプロセスも「精神的」か「身体的」かと分けることは不可能である。(アレクサンダー)

>ヴィヴィアン先生の授業メモより

コントロールは選択できる。
他のことと格闘しないで選んだことをやる。

一つ一つの音を一つ一つやればいいだけ。
その一音が形を構成していく。



VM

カサルス氏の卓越した演奏において、他の人が同じようなやりかたをあまりやらず、彼だけがやっていた部分を思い出してみると、「語る」のと「歌う」のと同じようなチェロの演奏のやりかたです。

『歌う音質は美しい音質であり、美しい音質は歌う音質である』

彼は色合いの幅を倍になるくらい増やすこともしました。

そのとき使ったのは「ビブラートなし」演奏法です。


ビブラートなしでやるのが現実的なスタート地点です。

ビブラートは特別な成分として、必要と思われたところに使います。

なんでもかんでもビブラートでオブラートに包んでしまうようなことを、彼は絶対にやりませんでした。


それは一つの表現方法としてかなり使える可能性があります。

チェロの音に幅を持たせ、一つの筋の通った部分を成します。


場合によってビブラートなしが「必要とされること」です。





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