「~を見ないで」そう言われたとき。


「手を見ないで」
「楽譜を見ないで」
「弓を見ないで」

そのとき、
もし
「見ちゃいけない」
と思っていたら。


私は、生徒さんとのやり取りの中で、
弓と弦の接触を観察して欲しいと思っていた場面で、
「見てね」
と言って、氣がついたことがありました。

なんだかすぐに目を離してしまうので、どうしてかなと思ったら、かつて
「見ちゃいけない」
と言われた(と思った)ことがあったのだとか・・・。


「見ないでやる」
のは、なんでかな?!

実のところ、その時に、
「見ようとすることが、何か必要なことを妨げてしまっていないかな」
「見ないことで、もっと自由にしたいことがある」
「できることを信頼してやってみよう」

そういういうことではないかしら。


***


「見ないように」
ということで、
動きを制限して固さが出て、ちょっと緊張したり、
あいまいな動きになってしまったら・・・。

そんなときは、
何にどんな意識を向けているのかが大切なので、
「見ないで」
のかわりに、言い変えてみるとどうでしょう。

「何が見えているの?」
「何について考えているの?」
「必要なことは何かな?」

「見ないで、同じようにちゃんとやる」
ということでなく、
情報を受け取りながら、
必要なことに意識を向けて動く。


***


実際、目の様子でも、ずいぶんと入ってくる情報は違います。
身体の様子にも注意を向けてみます。

「しっかり見よう!」
と見たい部分に焦点を合わせると思うと、
目の動きは制限され、意識される範囲は狭くなっています。
無意識に、そこに近づいていこうとしているかも。
息も止めて、覗きこんで少しかがんで小さくなっていないかしら。

スマホを使う時はどうですか?周りの人を観察してみてね。
スマホの階段のながら歩きは危険です!私、これで1度転びました(泣)


また、「どうかな?」
と感じようとするとき、
目の動きは止まって、ぼんやりうつろになってないかな。
私は、だいたい視線が上の方にむいて、頭が少し後ろに傾き、首の後ろが縮んでしまう。


「見ないで」も「見て」というときも、
頭のことを思い出しつつ、全体自分全体でバランスしながら、
周りに自分を含めながら「何が見えているかな~?」と思ってみる。

周りとの距離や、空間の広がりの中での関係性にも、
意識が広がって行くことで、
身体は次の行動へ備えやすくなるんですね。



このように、言葉をどう受け止め、どう反応するかでも、
その時の様子や、居心地はずいぶん違うものですね。


「何が見えているのだろうか?」
と問うことは、
「こうであるべき」
という考えから、
ちょっと離れてみることでもあるかもしれません。


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