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腕と手の動き易さについて考察です。

腕の仕事は腕にさせる。

本来やるところが、もっとやったら?

腕の仕事の代わりを、別の所が代わりにやろうとしていた? 


そんな、私自身の受けたレッスンがありました。

もう長い間やって来たことは、なかなか自分で気がつけないでいたのです。

先日来日したグレッグ先生、そしてすぐその後のジェレミー先生のレッスンから連続し関連付けて氣づかせてもらったレッスンでした。


アレクサンダー・テクニークをやっていくときの考えは、
いつも、自分全体は一緒に働いているというのが原則にあります。

手の働きは、胴体の動きにも関係しています。 

例えば、お腹にグッと力を入れたら力が出せている?

でも、それが脊椎の動きを妨げていたら、腕の動きやすさに影響があります。

強い音を出そうと思うとき、先に胴体の方に力が入っていました。

腕の力が必要だと思うとき、
もし腕に力を入を込めていることが、腕の動きを少なくしていたら?



「弓を動かすんだよ」とごくシンプルな一言。

音を出すために圧を加えている。
見ようとして圧を加えている。

え!?

「腕の仕事は腕がする、脊椎がしなくていいよ」

ハイポジションを見たい、そこにも圧をかけていた。
その時脊椎に余計な圧をかけていたのです。

あ、やってるわ、そうだね!

そう気が付かせてもらえたら、
その時やらなくてい動きはやめられて、
腕の全体でやれる仕事を増やすことができました。

あらよく響く。軽い。音量も増しました。

考える、体験することで動きは更新できます。

ふさわしい仕事をちょうどよく。


運弓は、弓を動かせる腕全体
音程を取るために、手と働く腕全体。

そのちょうどよく!のためには、
不必要なことをやめられて、可動性が回復し、
腕の仕事は必要なだけ腕がやるということが深まった、今回の氣付きでした。

そうするとやはり、動きはずっとシンプルになったと感じられるのでした。



筋肉に力が入った感じは「やっている感じ」かもしれません。
「感じ」という言い方は便利に使っていますが、あいまいなところがあります。
感覚の評価は過去の体験の積み重ねの上にあるからです。
いい感じを新しくしていく取り組みは、ちょっと変な感じになります。
新しいことを、自分の知っていることで判断しようとします。
自分のそれまでの体験になじみがないからで、反発する気持ちも起きてきます。


・・・

肩の痛みを訴えるとき、
その人の思っている「肩はここ」というあたりを強く主張しました。
「その人の思っている肩」を動かそうとしているのです。
「腕は、鎖骨からが腕の構造」と考えてやったみたらどうでしょうか。
具体的な構造の理解は動きを明確にしてくれます。


腕全体の働きとして理解しようとしたら、
動きの順番を見ていけたら、
部分・部分で頑張るのとは違う、つながる動きがあります。
その人の肩という考えについて、
新しい情報となるのです。

・・・


もしうまくいっていなかったら、
やりすぎか、自分の気が付いていないことがあって、
違うやり方をする必要があるのでは?と考えてみることはできるでしょうか。

今のやり方にこだわりがあるのはよくわかります。
大切にしているもの、大事なこと、
それを治す、否定するとうことではなく、
新しい違う考えとやり方を手に入れて、
役に立つ方を選べたらどうでしょうか?と提案します。


わたしは膝の怪我があり、痛みや不具合とどう付き合うかは重要です。
痛いままやり方を変えなかったら、動けなくなってしまうので、
痛みがやり方を考えてねと、言ってくれているのだと思います。
自分に優しいやり方について考えましょう。


最後までお読み頂き、ありがとうございました。