チェロと歩む 

チェロ弾きの日々の氣付きと学びの記録。
チェロと毎日をもっと自分らしく、心地よく楽しむために。
~清野佳子のブログです~

2020年05月

今とても多くの方が、演奏のプレゼントのほかに、日々の練習や課題をSNSで投稿してくださっていますね。
ある素敵な若手プロ奏者さんの自宅練習で、ハイポジションへ移動をしながら「舌と喉の緊張について考えている」というものを見ました。

私自身、難しいと思う曲を一生懸命取り組んだ時に起きた顎の痛みから、のちの舌の力みに至るまで長いこと取り組んでいましたので興味深く思いました。

練習していた曲を通して顎関節にひどい痛みが出たこと、それが無くなっていく間には、レッスンも受けていろいろな実験と発見がありました。

歯の食いしばりによるこわばりは、そのあと舌の奥の緊張になっていたのか、状態の繊細な変化を見ています。
それに伴って起きていること、やっていることが何だろうか?とみていくのです。
痛みが力みを教えてくれるのですが、それをやろうとするのがどんな時か、調べてみます。

興味をもって違いを観察する。
小さな違いにも興味を向けられるようになっていくと、だんだんと氣が付きやすくなります。
それは自分を痛めつけない、やさしいやり方になります。

いいと思ってやっていたことが自分でとてもなじんでいたら、それを止めることはちょっと苦労することです。
慣れていない、新しい違うやり方には違和感があるのは当然です。

やっていることを観察するときに、やっている感じが邪魔をすることがあります。
なんとなく慣れているやり方の感じです。
一生懸命弾き続けて、やっている間にだんだん悪くなるなら・・・立ち止まり、それについての考えを調べてみる必要があるでしょう。


ちょっと間を取って、やり方を観察することが大切です。
この間がとりにくかったりしますが、どんなお知らせが来ている?と思ってみます。

観察力が高まると、些細なことにもヒントが見つかったり、それがとても大きな変化のきっかけとなるのが面白いところです。

こうすればうまくいくという再現性を高めるためには、実際に考えたいことを動きのプランとして言葉にしていきましょう。
やりたい表現で、音を大きく小さくのような形容詞を思ったら、そのための実際の動きを考えます。
大きくするために、何を変えられる?どんな動きができる?
明確に信頼できるプランで更新されるとき、とてもシンプルなことの積みかさねになっていくでしょう。

課題を持って取り組むことの意味を、いつもとはちょっと視点を変えてみるのもおすすめです。
どんな言葉で、それについて動きの指示が出せる?

ヒントは書き留めるのがおすすめです。
いいと思ったことって、忘れてしまって何だっけ?さっきできたのに?となることありませんか?
感覚はどんどん新しく来るものです。

やったことについての考えを問うのは再現性のために役立つからです。
変化を説明できたら、そのことについて整理でき、理解が進むと思います。
大切なのは、意識的な考え方の変化です。

やりたいことのために、必要な動きを止めてしまっていると、動きの渋滞が起きます。
違うところで頑張っていることになると、窮屈になっていき、負担がかかります。
ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるようですね。
これが私の口やのど、指に起きていること、自分全体のつながりを止めていた様子の表れでした。

ブレーキをかけているのが、どのタイミングで、
どの場面で、何をしようとしていて、といった情報に注意して、
どれくらいの力でやれるか?考えてみる。


指を使うときの、腕と胴体のつながりは、
頭と脊椎の動きがその鍵となります。
頭と首~骨盤のつながり、頭~足までのつながり、それらがみんな関係があります。

ハイポジションに指が上がるときの腕の動きは、肩甲骨やひじの動きと密接に関係しています。
重音をしっかり弾きたいとき、強く押さえようとしていました。
その時腕を引き込んでしまうことにも、現れていたのでした。

筋肉の収縮を起こすとともに必要以上の緊張となって、力を使うときに固めてしまうことが動きにくさと痛みにつながります。

そのつながりでやっていることが、胴体でやっていることだったのです。
腕を引き込むときに、のど、胸、お腹でやっていることがありました。


レッスンに行って指導を受けた時、すぐにそれは「できない」という反応があるときに、
「練習した今までやっていることと、違うこともやってみよう」と考えて、
やり方を思い直すことで違う体験ができるわけです。
「そうか、それは新しいな」「面白いな」と思えたら新しい回路が開きます。

「力を入れる」「力を抜く」ということが、どういうことかいろいろ考えさせられる。
実際大変に感じられたり、わからないから困っているわけですが、
「やっている必要のないことを止められる」ということになります。
「必要なことをやる」のは、必要力なだけの力でということでもあります。

多くの場合、力が必要だと思っている力は「やっている感じ」によっています。
うまくやりたいけれど、うまくいかないときに、頼りにしているのが、「やっている感じ」です。
以前はもちろんそれでも良かったのですよ。
今はより繊細な変化を得たいと思っているからこその探求ですね。

うまくできたとき、『あれ?!軽い』と感じるかもしれません。
頼りない感じや『やっている感じがしないけれど、いい』
違和感があるのにスムーズになる。
やり方・動きについての考えが変われば、感覚も変わります。
感覚はどんどん更新されることをお忘れなく。


ここで1つ、新しいかもしれない「考え」を。
支えは上向きにあります。

またまた、以前言われてすごく印象に残っている言葉がありまして。
「上向きに弾く」「ビブラートは上にかける」
間違っている、と思いますか?
こうあるべき、という正しさや、定義を保留してみましょう。
引っかかった、この言葉からくる違和感は何でしょう?

これは、下の方向に行こうと考えているかもしれない、という氣づきになりました。
圧をかけるために、接触を得るために、やっていることがありますね。

動くために必要な支えは、下から上に向かってきているということがピンとくると、解決します。
重力は、重さと同じだけの抗重力の働きがあって、いつもそれを利用しているのです。
氣が付かないときも。立つためにも、座るためにも、そこに存在している時、支えを利用してはいるのです。
実際に動かしたいものが動くためには、反作用があり、動きを支えるもの、押し返すもの、そのちょうどよい自由度を求めているといえそうです。
小さな手ごたえを、自分全体の動きの中で起こし、支え、キャッチしています。
どんな支えがある?使える?

動きは支えるものとの関係性の変化の中にあります。
安定は動きの中にもあります。
やりたいことのために、自分全体でいつでも動きだせることが、支えとともに必要なんですね。

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

前回、足のことでアレクサンダーさんの見つけたことについて触れました。
この先赤字部分です。

今回のテーマの文章は、学校の課題で提出したものです。
ですから、ここに正解を求めないでくださいね。
ご自身で本書訳を読むことをお勧めします・・・。
また書きなおすかもしれません。
自分の振り返り用に必要なので投稿しておきます。


彼は全部で4冊の著作があります。
4冊のコース(Bodychanceのブックコースです)に参加し終えました。
なかなか大変ですが、先生とメンバーとの課題を通しての交流があるので、なんとか読みすすめられました。
この課題は、教師養成の2段階に進むためのプロセスでした。2冊読むことが卒業課題。
アレクサンダーの著作は文章がなかなか読みにくいので、たびたび読み返し振り返ることで少しずつ学んでいます。。
本を読むと、頭は混乱させられます。必要なプロセス!
考えること、体験することについて、生きることすべてにまつわるものとして、問いかけはづづくのです。


アレクサンダーさんが生きたのは、第1・2次世界大戦前後に渡る時代でした。
人が幸せに生きるために必要な個人の在り方についての、深い洞察がありました。

それはまさに現在なお深く問われるべき内容です。
ほかの著作では、教育(再教育)について、個人と政治や社会についての関りも、鋭い考察を述べていて考えさせられます。

個人としていかに生きるか。
なぜ人は変われないのか?変われるのか?
どのようにして変わることができるのか?
深い洞察の旅路です。

 
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 F・Mアレクサンダー著「自己の使い方」より「テクニ―クの進化」内容要約 




F・M・アレクサンダーは、
人間という有機体を誤って使っている状態を改善するためのテクニ―クを進化させた。


それはいかなる人間活動プロセスも「精神的」「身体的」と分けることは不可能であるという考え方に基づいている。

自分の使い方において、精神的なものと身体的なものが統一性を持ってすべての活動で一緒に働いている。

 

シェークスピア作品の朗唱家として情熱を傾けて活動していたが、だんだん発声に不調をきたすようになった。

息を吸う時にあえぎ、息をすする音がし、声が枯れてだんだんと出なくなってきてしまい、不安に襲われていった。

 

医師の診断に忠実に従い声を出さないでいると症状は良くなったように思われたが、ついに大切な本番中に声が出なくなるという最も恐れていた事態となってしまった。

彼にとって大変魅力的な仕事を続けていく事はできないと思われる状態に落胆したのだった。

 

しかし、なぜそうなってしまうのか?
その原因についての問いに医師は答えることはできなかった。

実際の舞台での体験から、声を出すときの自分がやっていることに原因があるのだと考え、それをなんとか突き止めようと、自らの観察をすることにした。

 

声を出している時の自分が何をしているのかを1枚の鏡に映して、
話し声と朗唱についてじっくりと詳細に観察した。

朗唱において「頭を後ろに引き、喉頭を押しつぶし、あえぐように息をすする」という3つの事実があった。

それは朗唱において顕著に見られたが、実は現れ方に差はあっても普段にも共通する傾向だった。

朗唱において特別な要求に応えようとしてやっていることは、声がかれる状態を作り出していた。

 

それは有機体のいくつかの部分を間違って使っており、それを改善するためにはその誤用を起こさないようにするか、変える必要があると考えた。

 

さらに観察と実験を続け、息をすすることと、喉頭を押しつぶすことは直接やめられないが、

「頭を後ろに引くのを止められることで、他の2つを間接的に起こらないようにできる」

ということを見つけ出す。

これは自分全体の使い方におけるプライマリーコントロールとして、主要な制御要素の発見だった。

 

誤用を防止し有害な傾向を抑えることで、使い方を変えることができ、声と呼吸のメカニズムの機能に顕著な効果が見られたことから「使い方は機能に影響している」ことが分かる

 

発声の器官の機能は、胴体全体の使い方によって影響を受けていた

また頭を後ろに引くことは、ある特定の部分の誤用ではなく、背が短くさせるほかの部分の誤用と結びついており、そのことに関する別の誤用を防止しなければならないとわかる。

 

また、朗唱しているとき頭の引き下げてしまうことを止めるためには、
「頭を前へ上へとすること、さらに背中を長くすること」が、プライマリーコントロールに必要であるとわかり、これは、防止と行為を結び付けるという体験となった。

 

実験を重ねる中で、声を出すために頭を前へ上へとすると決めたとき、「実際に必要な意図をやっていると信じているのに、実際は反対のことをやってしまっている」という事実が起きていた。

 

望ましいと思うことを実行するとき「慣れたことを行おうと思えばできるように、不慣れな動作も同じように実行できる」ということが幻想であると分かり、壁に突き当たる。

 

さらに鏡を2枚増やし、どこで誤った方向へ行ってしまうのかを見つけるために実験と観察を重ねていく。

朗唱するという強い欲求があるときには、声を出す喉の使い方の問題だけなのではなく、それまで正しいと思って忠実に行ってきた足で床をつかもうとしている立ち方必要となる身体部分の全てをどう使うかということに関わる誤用(習慣的使い方)であったと思い当たる。

 

間違ったことを直そうとして自分の意図してやっていることについて、「正しくやっていると認識する感覚の評価」は実際にはあてにならないのだった。

 

いかなる動作においてもある部分の使い方は有機体の他の部分の使い方に密接に関わっていて、直接使われていない他のところも互いに間接的に影響しあっている

 

やろうとする刺激について起きる、慣れ親しんできた誤用は初めのうちはとても抗い難いものである。

自分の使い方にどのような指示を与えているのかと考えた時、あてにならない感覚に頼っていて、そのことがさらに機能低下を招いている。

 

本能的なコントロールと方向性では十分な人間の要求を満たすことはできないので、感覚を信頼できるようにする必要がある。

 

 

声を使おうとすることが刺激となり、本能的な感覚によって反応を引き起こしているので、本能的感覚に頼らない論理的な思考をするために、

「①使い方の分析をし
より良い使い方の手段の選び
これらの手段が機能するために必要なディレクションを意識的にだす」ことにより、
新しい意識的な方向性にかえられることが重要である。

 

しかしながら、それらを実行しようとするや否や、やはり本能的に反応してしまうので、
すぐにやろうとすることを止め(抑制)
習慣的なやり方を止められるような新しい意識的な方向性をとてもたくさん出し続ける必要があった。

結果達成の手段には、それを行う準備となる方向性をその度ごとに与え続けなければならない。

 

これは「活動の中で考える(ジョン・デューイ)亅という、
目的に沿った手段を得ていくために、
すべて一緒に、1つずつ順番にいくつかのことが組合わさっている活動のプロセス
を表している。

 

しかし、新しい手段よりも、習慣的に培われた使い方のほうが正しく自然に感じられてどうしても信頼してしまう。

望んでいる使い方の変化を達成するためには、自分の使い方を方向付けるプロセスを新しい体験のもとにおく必要があり、
間違っていると感じられても実行し続ける準備ができているような、論理的プロセスへの本当の信頼が必要になる

 

本能的な反応を抑制し続けられるように、ついに次のプランを採用した。


ある目的について

即座の反応をすべて抑制し、
必要なやり方を十分に考えた上でプライマリーコントロールを用いながら、
必要な方向性をその都度出し続け、
プロセスの1つ1つの手順を実行するその決定をするまさにその場面で、
次の3つの選択ができることが必要である。

 

ある目的を実行することについての反応を全て拒否する 

ある目的とは違うことを選択して実行する 

ある目的を新たに選択して実行する

 

このような「意識的で論理的な方向性」は「非論理的で本能的方向性」に優り、
新しい方向性を出し続けることができ、
目的の達成に向かって取り組み続ける行動が可能になる方法である
ことを、
アレクサンダーは自身の探求から科学的な態度によって実証したのである。

 
・・・・・

そして彼の体験から見出したこのテクニ―クによって、
人間が行動の中で意識的で建設的な選択を行えることにより自らを導くこと、
その意義を彼のその後の人生を通じて人々に情熱を持って示したのだった。

 

以上


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最後までお読みくださった方、ありがとうございます。

ご心配なく。
これは、読んだだけではさっぱりわかりません。
アレクサンダーさん自身が、どんな学びも読んだだけで習得できはしないものでしょう、というように言っています。
でも誰もが人間として本来持っている変わらないものについての考察、再発見なのです。
難し…いや、興味いです。。



こんな時なので、身体に注意を向けることが多くなると思います。
健康状態について、変化があるかどうか、熱を測ったり気を配っていることでしょう。

前回は呼吸についてでした。
今回は足。
「足の裏はどんなかな?」
日々の暮らしの中でちょっとしたときに思い出してみてくださいね


私の中でずっと前からある言葉が折に触れて思い出されます。

『「足の裏はどんなかな」?と、思うぐらいでいいのよ。』

この言葉は、以前劇団四季の<ウィキッド>公演で初演のオーケストラのメンバーとして参加していた時のこと。
劇場のオケピットはとても深くて、指揮は小さな液晶画面を見て、音はモニターから聞くような状況でした。
毎回とても緊張していたのですが、その時の仲間に教えてもらったのです。

そして、ものすごい緊張の中でもう一つ自分で見つけて役立ったことは呼吸でした。
心臓がそれはバクバクするときに、鼻の奥の方で冷たい息を感じ、酸素を脳に送るというイメージでした。
これは注意力と、積極性を保つことにとても役立ちました。
(実際の呼吸の仕組みはカテゴリの呼吸 (8)をご参照ください)

後から、この2つはアレクサンダーテクニークに出会って、なるほど腑に落ちることでした。


全身は何らかの関りを持ちバランスしながら働いています。
足の裏に緊張があるときには、自分の動きのつながりを妨げるような力みが起きている。

FMアレクサンダーは、起きていた足の力みの気付きから、自分でやっていることとの関りを見つけたのでした。
以前必要だと思ってやっていた、地面を足でつかむようにして立つこと、それが声を出すときの不調と一緒に起きていたという氣づきは、彼の眼を覚まさせるような出来事でした。
その人の活動におけるある部分のどんな使い方も全体の機能に影響している、ということを見つけたのです。
アレクサンダーさんの発見についてはこちらへ:カテゴリ頭と脊椎 (8)

足の裏のことを教えてくれた人は、アレクサンダー・テクニークを知っていたのかな。


演奏しているときに、座り方が大切だったり、足のスタンスが動きやすさに関わっていると思ったことがありますか?
なるほどそうだなぁ、と感じたら思い出してみましょう。



足が繊細で、全身の動きやすさにかかわっているということは、ちょっとけがをしたり靴擦れでまめを作ったりするとすぐわかります。
深爪しても大変で、足はとっても敏感なところです。

足は太古の原初的なころから大地と繋がってきました。
重力と動き。この文字の成り立ちは興味深いと思います。
私たちは生きて動く、活動するとき重力と一緒にいます。
重さを生かし支えるために、弾力が備わっています。
身体のばねのような仕組み、どんなことが思いつくでしょう?

足の力は弾力の働く仕組みがあり、たくさんのセンサーがあります。
全身各所に対応するツボがあります。


最近はスティ・ホームで不活発になりがちです。
私は氣分が滅入るなぁと思うときは、その場でジャンプをしばらくします(笑)
足裏全体のバランスや弾力のあるばね脚とのつながりを思い、かかとが着いたらすぐ小さいジャンプで軽く飛び跳ねます。
重力の刺激が全身に伝わることは、機能に働きかける影響があります。

頭が脊椎の上でふんわり動けるようにと思ってみましょう。
脊椎のてっぺんは鼻の奥、耳と耳の間くらいの高さです。
頭が上に向かって、そして胴体が頭についていくように動く、
頭から脚がぶら下がっているように思ってみるとどうでしょう。
頭はふんわり乗っかっていて、ゆるゆると繋がっていって、足の裏から頭のてっぺんまで動きがあります。
無理なくやってみてください。
興味を持つと観察ポイントはいろいろ見つかると思います。

足の骨やアーチの構造については興味深いことがいっぱいあるので、また続いて書きたいと思います。

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

久しぶりの投稿になります。


少し静かな時間を意識してみます。
ざわざわと落ち着かない気持ちもあるかもしれません。



今の自分全体の様子と、自分の外の様子を繋げている情報について考えているときに、
自分自身の身体と考えと両方について「今どんなかな?」と、
静かなというのは、微細な意識と動きが全体の中で立ち上っている様子を思っています。


身体の中へ意識を向けると、身体の中に動きがあると氣付く。
身体の中から、身体の外に意識を向けると、自分が動きを起こしていると氣付く。

様々な場面の中で、選択し行われるその1つ1つのことがらが、
私たちを動かしていきます。


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私は、最近ゴーヤの苗を植えました。苗から弦(つる)が数本出ています。
朝見たとき伸びた弦はフェンスに触れて、数時間後には弦を絡め、その日のうちにしっかりと巻き付いていたのです。
短時間では見ることができないけれども、意外な速さに目を見張りました。
植物はそのおかれた場所で、目に見えない繊細な動きを常に起こしています。

草・木が光合成し、水分と二酸化酸素を吸収し、酸素を交換する生命の営みをしています。
地球の環境によって、ちょうどよい酸素濃度を与えられなければ生きてゆけない人間の身体という宇宙に意識を移してみるき、自然の営みの不思議はまさに自分の中に起きていることです。
酸素を取り入れ、血流によって全身に運ばれ、二酸化炭素と交換される。
黙々と延々とそれが行われてきている地球にいて、身体の中で酸素が交換されなくなることが、現在の世界を覆っている困難を起こす肺炎の現象。


生命は循環する仕組みによってまかなわれる。
呼吸は必ず出ていき、入ってきます。
その時々の、変わり目を思ってみるとどうでしょう。


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必要な行動を起こすために、少し静かに考えます。
どんよりと思い気分がやってきたら、それに気づいて、ちょっと脇に置くようにしています。
呼吸も観察できますね。
呼吸の小さな氣付きは、いつでも自分全体の働きの何らかの指標となるでしょう。


自分が動きを起こしているのを観察してみてください。
自分の中から自分全体に意識を向けて、
身体の中から、身体の外へ意識を向けてみてみましょう。

どうぞ安全に、お気をつけてお過ごしくださいね。


最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。






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