動きの意図で、やってみる
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違った。できない。
そう、思うとき。
そこでの大切さは、
「私のどんな思いを、何を映し出しているの?」ということです。
できる気がしない。そう、思うとき。
そこでの大切さは、
「私のどんな思いを、何を映し出しているの?」ということです。
怖い。
そこにほんの少しでも混じっているかもしれないのは、
「こうあるべき」「やらなくてはいけない」という思いだったりするのです。
その思いが機能しないとき、新しいチャレンジの瞬間なのだと思います。
チャレンジは、新しさ、よくわからなさを通りぬけること(笑)
「こうあるべき」「やらなくてはいけない」についての、
「それは本当ですか?」という問いかけをしてみます。
これにちょっと、もやっとしたものです(笑)
今では、ニヤッとできる瞬間です。
新しさを見出して、握りしめたものを、手放せるかもしれない時だから。
「無理にやらなくてもいい」
「やりたくないならやらなくていい」
「やりたかったらやればいい」
そう言われても、なにそれ?!と思ったりする。
「やらなくちゃだめ!」「できなきゃだめ」があったの。心の中に。
「やってもいい」「やらなくてもいい」
「どっちでも大丈夫」
「やってみたらどう?」
「ちょっと、やってみよう」
に至るには、自分にとっての安心と安全が大切なのね。
でも勇気はいるよね。
小学生の時、初めて跳び箱で8段を飛べたとき。
壁のように思えたものが超えられたときの爽快感。
中学で大きくなった台を飛べた。
ある以上は飛べなくて、また怖くなった。
一つできた先に、また壁はやってきて、圧倒される。
出来ないことは怖さと結びついているのです。
合氣道でずっと苦手だった、受け身のお話をします。
受け身も、それ以外でも、自分の中の動きがいつもあります。
後ろ受け身では、後ろ脚をたたんで、後方へ抜けます。
その足がたためないときは、後ろ脚に乗っているので、動けない。
「前に一歩出しなさい」その一言がやってくる。
必要なタイミングで。何度もなんども。
前に重心を移せる、一歩を踏み出せるような全身の動きがあるように。
受け身から立ち上がれるように回れているとき、回りながら周りも見えているようになっていきます。
前受け身では、腕から肩へ抜けるように頭はおへその方を見るといいんだけど・・・
どこかで何かが変でした。
「少し蹴ればいいよ」先生の一言のアドバイスに、「そうか、やってみよう」と思えた。
蹴ったら勢いがついて、くるんと回ってなんとそのまま立ち上がれるようになった!
床を離れる時(=恐怖)の足をどうするか、考えていなかった~。
頭が動いて、自分全体がついていくことができて、腕が床に着いて、足が床を蹴る(=安全)。
蹴る足から腕までつながった~~身体が立体的に長くなった。
怖くて縮こまっていたんだ。
腕と足は、胴体を動かし、支えている。
この時つながったのは、必要だった、回転するためのばねのための動きでした。
腕と足の両方がばねの様に支えあえたら、ドスンと落っこちてしまうことは無いのね。
立ち上がれるような自分自身に、またそこから動き出せる、そう思える勇気をもらえた。
「わからない=怖い」を上回る、「やってみる=好奇心」へ向かえれば、動き出せる。
「こうしてみよう」という動きの意図で、やってみる。
やると決める。「こうしてみよう」という動きの意図で、やってみる。
もしやりたいのなら。
だから自分で課題を持つことは大切なのね。
具体的にやる一つのことの選択がある。
実行する…実行しない(今はやらない)…また他の選択肢もある。
改めて決めて、やってみる。
やってみたら?
その動きの終わりはまた、つぎの新しい始まりになる。
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やらない理由はいいろいろあるよね。
疲れた、いやな感じがする。
痛い、面白くない。
気が向かない。
そのお知らせも大切にしたい。
待っていて。
それを上回る、湧いてくる思いに氣が付けるといいね。
やってみたら?というささやきが心に響くまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。