レッスンのつづき。

ボーイングのこと、を書こうと思ったのですけれど・・・

***

その前にちょっと考えたこと。

いろいろな先生に教えていただいて、
ナルホドそうだったのかと改めて納得すること、
えっ!それは新しい~!!ということ、
ん~何だろうこれは??・・・というような、
新しい情報による驚きや戸惑いの連続の日々。


あることがよくできない理由は、
「ただよく知らないから」という部分がかなりあるのだ・・・

特に最近改めて思うのです。当たり前のようだけれど。


何かできることは、特別なことだと思ってもいる。
できるようにする為に、やるべきことを適切に知ることは必要。

どんなに遠回りをしても、いつかたどり着きたい、
それを自分でもやってみたい!という思いがある。

素晴らしい先生に出会ったとき、そこに、答えがあると思う。
でもすぐには身に着かないもどかしさ。


「とってもむずかしいのよね」・・・
共感を込めてぽつりとヴィヴィアン先生。

でもみんながそれぞれ、もうその難しいものにすっかり虜になってしまったの!

可笑しいような、悲しいような、嬉しいような、現実。


先生の真実の教えに触れるとき、
どんな生徒かは問題ではない。


***

さて、ボーイングの話に戻ります。

これはなかなか伝えにくいことでもあり、
私の場合で、充分ではありませんが書いてみます。


「弓(木の棒の部分)を、ネコを撫でてあげるように撫でてみて・・・
ネコが喜んで喉をゴロゴロいわせるみたいにね」

大好きだった、ミーちゃんを思い出しました。

「ネコは逆さに撫でるのは嫌いなの」

ついボーイングのように両方向に撫でてしまった!

指先で生き物に触れるときの気持ちを思い出します。
しばしミーちゃんとの思いでにひたり、その温もり手触りまでも思い出します。

「こんな風にやってみたことはありますか?こうやって弓の毛で弦を撫でてみて」

こんな気持ちの、優しい触れかたしたことなかった。。。
ロングトーンでダウンボー。繰り返し。とっても優しいタッチ。

<ネコを撫でるような>意図によって、
手首、肘、肩の連動がより滑らかに柔らかく促されました。

そしてチェロらしい深い響きがして感動です。
(しかしさらに練習が必要!)



<まっすぐの弓に手がついて行く>

弓先で手首は落ちていい。
弓元へ戻す時スッと、肘を落として
その繰り返し。

私は肘が上がってしまう傾向があったので、そこがポイントでした。
少し慣れたらアップボーも。
手首は自然に戻る。
腕がもっと長く使えるようになって、頑張っていないようになりました。


そしてもう1つ、
弓は弦に落ちて行く

移弦の時、繊細に落とす。
アップもダウンも。重さを移す

弓を弦に載せる時も。
弓の重さがより手の中で繊細に操られる。

(かなりガツガツ、弦をつかみに行ってしまっていたことを反省!)


実際これまで生徒さんのレッスンで弓を扱う時、
「力を抜いて」という表現は、役に立たないなぁと思う。
「肘を使う」も伝わりにくかった。


腕・手が弓を使うための、
より<ふさわしい機能>を働かせる言葉を使って、
起きて欲しくないことが起きないようにするための働きかけをすることが、
とても大切ということなのです!


「こんな風にやってみたことはありますか?」の問いかけについて。

これに思い当たることがありました。
ネコは出てこなかったけれど、昔同じことを教わっていました。
私もレッスンで弓に手をはわせてみるように、やってみてもらうことがあります。

記憶をたどると。。。
持っていた奏法のテキストに記述がありました。
≪モーリス・アイゼンバーグ著 現代チェロ奏法 三木敬之訳≫
やはりカザルス氏の弟子で、
序文にカザルス氏の推薦文がのっていました。

私はかつて音大受験の為に三木先生に、
丁寧にやはり一から教えて頂いていたのでした。
ちょっと繋がりました。

ここでヴィヴィアン先生に再び教わってみて、
それがようやく、もう少し立体的に理解できたかもしれません。


腕の位置だけでなく、
指示がその繊細なタッチに至っていたので、
とても新しい感じがしたのです。
テキスト全体をまた久しぶりに読みなおしてみようと思いました。



パブロ・カザルス氏の言葉をご紹介します。


『思うことの美しければ、姿かたちも美しからん』

『人生、気力と優しさをもって臨まねばならない』



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