前回、足のことでアレクサンダーさんの見つけたことについて触れました。
この先赤字部分です。

今回のテーマの文章は、学校の課題で提出したものです。
ですから、ここに正解を求めないでくださいね。
ご自身で本書訳を読むことをお勧めします・・・。
また書きなおすかもしれません。
自分の振り返り用に必要なので投稿しておきます。


彼は全部で4冊の著作があります。
4冊のコース(Bodychanceのブックコースです)に参加し終えました。
なかなか大変ですが、先生とメンバーとの課題を通しての交流があるので、なんとか読みすすめられました。
この課題は、教師養成の2段階に進むためのプロセスでした。2冊読むことが卒業課題。
アレクサンダーの著作は文章がなかなか読みにくいので、たびたび読み返し振り返ることで少しずつ学んでいます。。
本を読むと、頭は混乱させられます。必要なプロセス!
考えること、体験することについて、生きることすべてにまつわるものとして、問いかけはづづくのです。


アレクサンダーさんが生きたのは、第1・2次世界大戦前後に渡る時代でした。
人が幸せに生きるために必要な個人の在り方についての、深い洞察がありました。

それはまさに現在なお深く問われるべき内容です。
ほかの著作では、教育(再教育)について、個人と政治や社会についての関りも、鋭い考察を述べていて考えさせられます。

個人としていかに生きるか。
なぜ人は変われないのか?変われるのか?
どのようにして変わることができるのか?
深い洞察の旅路です。

 
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 F・Mアレクサンダー著「自己の使い方」より「テクニ―クの進化」内容要約 




F・M・アレクサンダーは、
人間という有機体を誤って使っている状態を改善するためのテクニ―クを進化させた。


それはいかなる人間活動プロセスも「精神的」「身体的」と分けることは不可能であるという考え方に基づいている。

自分の使い方において、精神的なものと身体的なものが統一性を持ってすべての活動で一緒に働いている。

 

シェークスピア作品の朗唱家として情熱を傾けて活動していたが、だんだん発声に不調をきたすようになった。

息を吸う時にあえぎ、息をすする音がし、声が枯れてだんだんと出なくなってきてしまい、不安に襲われていった。

 

医師の診断に忠実に従い声を出さないでいると症状は良くなったように思われたが、ついに大切な本番中に声が出なくなるという最も恐れていた事態となってしまった。

彼にとって大変魅力的な仕事を続けていく事はできないと思われる状態に落胆したのだった。

 

しかし、なぜそうなってしまうのか?
その原因についての問いに医師は答えることはできなかった。

実際の舞台での体験から、声を出すときの自分がやっていることに原因があるのだと考え、それをなんとか突き止めようと、自らの観察をすることにした。

 

声を出している時の自分が何をしているのかを1枚の鏡に映して、
話し声と朗唱についてじっくりと詳細に観察した。

朗唱において「頭を後ろに引き、喉頭を押しつぶし、あえぐように息をすする」という3つの事実があった。

それは朗唱において顕著に見られたが、実は現れ方に差はあっても普段にも共通する傾向だった。

朗唱において特別な要求に応えようとしてやっていることは、声がかれる状態を作り出していた。

 

それは有機体のいくつかの部分を間違って使っており、それを改善するためにはその誤用を起こさないようにするか、変える必要があると考えた。

 

さらに観察と実験を続け、息をすすることと、喉頭を押しつぶすことは直接やめられないが、

「頭を後ろに引くのを止められることで、他の2つを間接的に起こらないようにできる」

ということを見つけ出す。

これは自分全体の使い方におけるプライマリーコントロールとして、主要な制御要素の発見だった。

 

誤用を防止し有害な傾向を抑えることで、使い方を変えることができ、声と呼吸のメカニズムの機能に顕著な効果が見られたことから「使い方は機能に影響している」ことが分かる

 

発声の器官の機能は、胴体全体の使い方によって影響を受けていた

また頭を後ろに引くことは、ある特定の部分の誤用ではなく、背が短くさせるほかの部分の誤用と結びついており、そのことに関する別の誤用を防止しなければならないとわかる。

 

また、朗唱しているとき頭の引き下げてしまうことを止めるためには、
「頭を前へ上へとすること、さらに背中を長くすること」が、プライマリーコントロールに必要であるとわかり、これは、防止と行為を結び付けるという体験となった。

 

実験を重ねる中で、声を出すために頭を前へ上へとすると決めたとき、「実際に必要な意図をやっていると信じているのに、実際は反対のことをやってしまっている」という事実が起きていた。

 

望ましいと思うことを実行するとき「慣れたことを行おうと思えばできるように、不慣れな動作も同じように実行できる」ということが幻想であると分かり、壁に突き当たる。

 

さらに鏡を2枚増やし、どこで誤った方向へ行ってしまうのかを見つけるために実験と観察を重ねていく。

朗唱するという強い欲求があるときには、声を出す喉の使い方の問題だけなのではなく、それまで正しいと思って忠実に行ってきた足で床をつかもうとしている立ち方必要となる身体部分の全てをどう使うかということに関わる誤用(習慣的使い方)であったと思い当たる。

 

間違ったことを直そうとして自分の意図してやっていることについて、「正しくやっていると認識する感覚の評価」は実際にはあてにならないのだった。

 

いかなる動作においてもある部分の使い方は有機体の他の部分の使い方に密接に関わっていて、直接使われていない他のところも互いに間接的に影響しあっている

 

やろうとする刺激について起きる、慣れ親しんできた誤用は初めのうちはとても抗い難いものである。

自分の使い方にどのような指示を与えているのかと考えた時、あてにならない感覚に頼っていて、そのことがさらに機能低下を招いている。

 

本能的なコントロールと方向性では十分な人間の要求を満たすことはできないので、感覚を信頼できるようにする必要がある。

 

 

声を使おうとすることが刺激となり、本能的な感覚によって反応を引き起こしているので、本能的感覚に頼らない論理的な思考をするために、

「①使い方の分析をし
より良い使い方の手段の選び
これらの手段が機能するために必要なディレクションを意識的にだす」ことにより、
新しい意識的な方向性にかえられることが重要である。

 

しかしながら、それらを実行しようとするや否や、やはり本能的に反応してしまうので、
すぐにやろうとすることを止め(抑制)
習慣的なやり方を止められるような新しい意識的な方向性をとてもたくさん出し続ける必要があった。

結果達成の手段には、それを行う準備となる方向性をその度ごとに与え続けなければならない。

 

これは「活動の中で考える(ジョン・デューイ)亅という、
目的に沿った手段を得ていくために、
すべて一緒に、1つずつ順番にいくつかのことが組合わさっている活動のプロセス
を表している。

 

しかし、新しい手段よりも、習慣的に培われた使い方のほうが正しく自然に感じられてどうしても信頼してしまう。

望んでいる使い方の変化を達成するためには、自分の使い方を方向付けるプロセスを新しい体験のもとにおく必要があり、
間違っていると感じられても実行し続ける準備ができているような、論理的プロセスへの本当の信頼が必要になる

 

本能的な反応を抑制し続けられるように、ついに次のプランを採用した。


ある目的について

即座の反応をすべて抑制し、
必要なやり方を十分に考えた上でプライマリーコントロールを用いながら、
必要な方向性をその都度出し続け、
プロセスの1つ1つの手順を実行するその決定をするまさにその場面で、
次の3つの選択ができることが必要である。

 

ある目的を実行することについての反応を全て拒否する 

ある目的とは違うことを選択して実行する 

ある目的を新たに選択して実行する

 

このような「意識的で論理的な方向性」は「非論理的で本能的方向性」に優り、
新しい方向性を出し続けることができ、
目的の達成に向かって取り組み続ける行動が可能になる方法である。
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・・・・・

アレクサンダーは自身の探求から、科学的な態度によって実証した。

そして彼の体験から見出したこのテクニ―クによって、
人間が行動の中で意識的で建設的な選択を行えることにより自らを導くこと、
その意義を彼のその後の人生を通じて人々に情熱を持って示したのだった。

 

以上


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最後までお読みくださった方、ありがとうございます。

ご心配なく。
これは、読んだだけではさっぱりわかりません。
アレクサンダーさん自身が、どんな学びも読んだだけで習得できはしないものでしょう、というように言っています。
でも誰もが人間として本来持っている変わらないものについての考察、再発見なのです。
難し…いや、興味いです。。