思い出すこと
レッスン時の一場面から思うこと。「疲れた~」と言うことがありますか?
普通に使っているでしょうか。
これを連発する人がいる場面で、思うことがあります。
何がその言葉を言わせるのでしょうか?
わたしは疲れを感じなくなってきたので、この言葉がもうほとんどいらないと思うほどです。
それは「疲れた」という意味の内容が変わったのでしょう。
だいぶ以前書いたことがありましたが、3時間近いミュージカルの公演での演奏を終え、楽屋へ引き上げる足取りで氣が付いたのです。
むしろ心地よく整って、元気になっているように思えました。
弾いているときだけではなく、弾いていないときの過ごし方が関係していると思います。
わたしは可能ならピアノ椅子で演奏しますが、背もたれのない箱型椅子が好きで、座面のクッションがしっかりしていて、ギシギシしないからです。
楽器を弾かない時、楽器を身体から離すことも多いですが、すぐに弾けそうな身体でいた方が、ずっと楽なのですよ。
弾かない態勢にしたら楽だとしたら、弾いている態勢に無理があるということもあるかもしれません。
弾きながら休める、弾いていないときに動ける、この両方を丁度よく行ったり来たりしたいです。
楽器を構えるということでは、自分が楽に動き出せそうに座っている、そこへ楽器を持っていきたいです。
ああそうか、と思えるとだんだん工夫ができます。
「疲れるやり方をしていたな」とわかってくるのです。
アレクサンダー・テクニークを学ぶ中で、気が付くことが増えていきますが、それは、今自分が何をしているのか?についてです。
始めのうちは「なんのこっちゃ?」「どういうこと?」でゆっさゆっさ揺さぶられる感じです(笑)
先生はとてもていねいに、その時の自分と向き合うように寄り添っているのですが、そうすることで「こうである」と思っている「正しさ」「限定」を「今やりたいことについて」「大切さ」の方へ向かわせてくれます。
こう書いても微妙すぎてわかりにくいですね。
例えば、車のアイドリングストップというのをどう思いますか?
エネルギーと環境への影響という問題なのか、効率・経済という側面なのかなどいろいろ論点はあるところでしょう。
信号でエンジンが止まり、発進時にエンジンをかけなおすひと手間において、発進を意識的にするという安全性は高いと思います。
動き出すために、発信する瞬間に備えているのはもちろんですし、車の機能も敏速で少ない時間で再起動します。
さて、楽器にまつわる「構え」とか「姿勢」というところにそれぞれの考えがあるわけです。
楽器をもって、あるいは脇において「弾かないでいる」ときに何をしているか、何に備えているのか、これも演奏にまつわるシーンといえるでしょう。
楽譜にメモを取ったり、お話したり、静かに聴いていたり。
そこで、「疲れた~」という言葉を聞くときに、「あらあら、たいへん」と思ってしまいます。
ご本人は休みたいと思うような大変なことをしていたと、言っているわけです。
それがどんな様子の時かというと、だいたい椅子に崩れ落ちたようになっています。
そこからまた起き上がって、やる気になるのは大変だろうなと、こちらも思います。
気持ちだけでなく身体も、立て直すのは結構エネルギーがいるんですよね。
アドバイスとしては、その都度、今どんな風になっているかに氣づいてくことです。
今そこからどんな風にしていけるか、思い出し、考えてみるのです。
ある生徒さんとレッスン後に、振り返りノートを書く時間を持っています。
鉛筆をもって、今日何に取り組んだか思い出してもらいます。
以前からノートに崩れ落ちるようになっていたので、背中にそっと手を当てると、
「あ、姿勢よくしなくちゃ」と思うみたいで起き上がってきますが、
「そうね、思い出してね」「その方が様子がいいわね」なんてたびたび言ってみます。
先日、触れなくても思い出してやってくれてました。
ほっとするひと時にも、自分の在り方を思い出すことができたら。
その様子は、見ていて美しいなあと思わせてくれる瞬間なのでした、
帰り道、足取りが軽やかだったら、ちょっと嬉しい。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。