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カテゴリ:ヴィヴィアン先生

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[自然に 1・2・3]に続きます。


しなやかさ。ボーイング。座り方。大地とつながる。


  『』はカサルス氏のことば VM・「 」はヴィヴィアン・マッキー先生
   y:私の補足ガイド・コメントです。
   キーワードになりそうなところを太字にしました。



VM

カサルス氏はまずチェロ演奏における新しい根本原理を下さり、中でも最も重要なことが、しなやかさでした。

弦をかき鳴らすのは楽しいし、弦を弾ませることなど全部ダンスのようです。・・・
私は自分の中全部にリズムがあるように感じているのだけれども。・・・

ほとんど留意されることもなく、気付かれることも取り扱われることもない演奏方法があると思います。

弦の弾力性です。チェロ弦にはすこぶる弾力性があり、弓と毛の双方でうまく働きます。

演奏者が弦を押さえつけぎゅっと無理に音を押し込めているところをよく目にします。
その代わりに、実は弾んでいて欲しいところです。

弾力性を持つと完全性が手に入ります。

そこにアレクサンダーテクニークを用いると、どうやったら自分自身をうまく操れるかもおそらくわかります。
自分のために自分をもっと効果的に働かせることができます。

楽器の中にしなやかさが含まれていると認識されされ、それが使われることになれば、フレーズはあるがままに響くしかありません。

私はこうした経験を何度もしています。弓使いを誰かに伝えているときによくあることです。


y:

ヴィヴィアン先生にボーイングのご指導を頂いた時は、「ネコを撫でるように」弓触れ、弦に触れることを教わりました。
柔らかな手首や、腕全体の様子をしなやかにして、手が弓の軌道についていくための動きでした。
 
その柔らかい全体の動きから、弓の重さを楽器に乗せることができる。弓の重さを扱うこと。

肘を落としていく腕の使い方によって身体の軸に沿う動きが、余計な圧迫を除いていく。

そうして、もっとチェロらしい豊かな深い響があらわれる。

そんな音が出せることが嬉しい驚きでした。



VM

全てしなやかです。全て柔軟です。』
 演奏者だけではありません。

チェロ本体も弦も弓も大地も。
そう大地はしなやかで、空間に広がって行きます。

波を打って伸長します。
固まってしまうものは何もありません。

しなやかさに重要な内容が含まれてくるのは当然ですし、何かを手放すことによってのみ皆さんのしなやかさが得られます。

ところが「手放していくと安心する」というのは大方の演奏者にとっては間違いなくとても奇妙な考え方でしょう。


椅子の選定に、・・・立派な椅子を選んだとしても、脚を固めていないことが一番大事だというのに、演奏者の足と脚は簡単に固まってしまいます。

足の裏が膝の下で安定していない状態ではバランスが良くないのは当然です。
・・・とても大事なことです。

しなやかさは実際の身心にあります。
関節のすべてに肉に指先に宿っています。
それなのに、人はいつでももっと自由になれるようにはしていません。
より大きな動作のためにわからなくなっているからです。

しかし、やろうと思えば完全に満たされた動きにすること、表面に見えないほどきめ細かい動きが主導できるようにもできます。

股関節
胴体などのどこかで動きがブロックされていると、必要以上に大きな動きが見え、これを1つの目安とすれば分かります。



y:

ヴィヴィアン先生のレッスンでは、まず足が固まらないようにすることを私に教えてくださいました。
 
椅子の上の座骨に胴体がどのように乗っているかを感じられ、足も胴体も柔らかくバランスをするのです。
おかげで足で踏ん張らなくていいと、思えるようになりました。

演奏前に「強く1つ足踏みをしてごらん!」と授業内でおっしゃることが、たびたびありました。

カサルス氏が演奏前に、そのようにして音楽のためのエネルギーを身体から表出させたことがあるのだそうです。
本文中にその記述がありました。

身体の中にあるリズム、大地を踏みしめる、動物が本来持っていたエネルギーとつながるために。

現代のさまざまな拘束から固めてしまっている体を、解き放つために。
そういうことなのでした。

大地を踏みしめるダンスのリズム。
表わし方は違うけれど民族それぞれの形で根ざしているものなのでしょう。
 
 
追記:
座奏でも、脚が股関節からいきいきと動かせるような胴体との関係性が、
演奏のパワーにつながってくるということでもあるように思います。



VM

最近の生徒さんには、練習をご褒美だと思ってやってごらんなさいと伝えています。
宝物を発掘したと思いなさいと。

そう思えば決して単純作業にならず、特別な喜びを持って取り組めます。

そうすれば、ご褒美を楽しんでいるのですから確実に、固くならずにいられます

私の言う「特別な喜び」とはやっている最中に自分全体が音楽になって行くときのことを表わします。

もしかしたら、たった二つの音でいいので、その音はこれだと思えるものが出せたら、その時には自分の外見も変化していますし、自分全体の・・・存在全体が変わります。




y:プラードでカザルス氏のレッスンを受けていた頃のお話し。
 
「かかるだけの時間をかけましょう」

VM
 
・・・以前は自分にリズムがあるのに気付いていなかったようです。・・・
面白かったのは自分のリズムが大きな時間軸上にもあるという発見です。

およそ六週間ごとに伸び悩みが来るのが見つかりました。
だんだん空っぽになってしまって、どうにも練習が進まなくなりました。

・・・私に必要があってそうなったのでしょうが・・・
そんな時は自然の中へ出かけて行きました。すぐ側にいくらでもありました。
大家さんの領地へ入ると、小さなアンズの木がありました。

そこへ行く途中で乾いた土を掴んで指の間をすり抜けさせました。
「私いったい、何やっているんだろう。これって頭がおかしくなったんじゃないの」とまず思いました。

それから「いやそうじゃない、私は接触して大地を求めている、物事の基礎になるものを」と思いなおして、土の上にごろり寝転んでしまいました。

土の上ってのはまんざら捨てたもんじゃないということがわかり、真冬でもそうしました。
「日光浴じゃなくで、ただのグラウンディング、寝っコロリング」です。

それから「これでいいのだ」と思いました。
何か私の必要としていたものが大地からやってきたのでしょう。そんな感じを楽しんでみました。

痛みが和らいだのと同時に、元気づけられました。


        **********

y:

演奏について悩み、考えることは尽きることがありませんけれど、
考え方を学んでいくことで、
自分のやり方、起こることへの対処の仕方が、
ずいぶんとラクになってきたと思います。

自分のために、どんな考え方を持てるでしょうか。
どんな考え方が役に立つのでしょうか。

その時その時に、新たに思考と行動を求め、
合わせて機能的に働くようになっていきます。

アレクサンダーテクニークの学びは、
1つ、また1つと、動きや響きが見つかります。

こんな考え方で、こんな音が出るのか、
こんなやり方ができるのかと、
練習や演奏は以前に比べてまた一層興味深いものになっていきます。

変化は見えないほど小さくても、
とても大きな驚きと喜びです。

それは演奏に限らず、
生きていくすべてに関わることなのですね。



今回まで4つの記事で「自然に演奏してください」の本から、
ほんの一部を引用させていただきました。

実際レッスンを受けたこと、そして学んできたことから、
書かれていることの意味ついて考えています。

またこの後に読んだときにはまた、
違う理解ができるのだろうと思います。


興味を持たれた方は、実際に本を手に取ってお読みになったら、
その時のご自身に響く何かが見つかるのではないでしょうか。

カザルス氏と、ヴィヴィアン先生とアレクサンダーの共鳴するものが、
皆様にとっても何かのきっかけになりましたらと思います。



最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

どうぞコメント・メッセージをお寄せ下さいませ。
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見る。音を聞く。

アレクサンダー・テクニークとのつながり。
ビブラートについて。



先生の言葉と、関連する私のメモから。

  『』はカサルス氏のことば
  VM「」はヴィヴィアン・マッキー先生
  JAはジョー=アームストロング氏

   y:私の補足ガイド・コメントです。
    特にキーワードになりそうなところを太字にしてみました。



VM

彼がやることを私自身の目を通してずっと見続けるように要求されました。
y:カザルス氏とのレッスンでは楽譜を使わなかったため)

彼の観察をただ続けると言っても、誰かが「上に伸び」ていくのを見続けながら、自分だけ「上に伸び」ないでいるのはすごく難しいということがお分かりでしょう。
どうしても何らかの影響が生じます。


y:
>ヴィヴィアン先生の授業メモより

上に伸びていくことは注意力を高める。
すなわちコーディネーション(頭と脊椎の関係から身体全体へのバランス)を高める


VM

カサルス氏はチェロ演奏にワークしていただけでなく、私全体とワークしていたと、確信しています。

アレクサンダーレッスンが始まった後で、カサルス氏もずっと「自分の使い方」に対してワークしていたと気がつきました。

それから当然ですが、カサルス氏は私の耳に素晴らしいものを降りそそぎ続けてくださいました。

レッスン中、耳をそばだてる以外できない状態で仕込まれました。


カサルス氏と学び始めたばかりの頃は、とにかく音を聞き分けることさえできない状態でした。

・・・しかし学びが進んで聴き分けられるようになってくると、とてつもない可能性が広がってくることが分かりました。

強い刺激がやってきたときや曲中で次の音に移行するときにも、
ずっとずっと可能性が広がってきて、最適な音が選べるようになってきました。



y:
>ヴィヴィアン先生の授業メモより

聞くことの可能性がもっとある。

最初の音、そして次の音。
音は次の音に向かって育ち展開していく。

一音一音を生きぬく。
その道をたどって次の音へ行く。

「今」は音の中にどれくらいある?
今の音が育っていく時、一緒にいる。



VM

私が初めてアレクサンダーのレッスンを受けにいったときのことです。
先生は私のやり方を止めました。

誤ったやり方をするのを何度も何度も止めるカサルス氏のようでした。

今振り返ると、カサルス氏は伸びて行きながら、つまり「上に行き」ながら演奏していました。
彼の優れた全体性によるものでしょう。

音楽に高い要求を求めていたから、いつでもあらゆる刺激に対してうまく対応するようにしか、彼はやらなかったのでしょう。

そうなると、自分がカサルス氏に学んだことは、本当に長い目で見るとアレクサンダー・テクニークから学んだのと同じ道筋にあったようです。



y:
>ヴィヴィアン先生の授業メモより

うまくいくかどうか悪い心配をしてしまう時、やることはいっぱいある。

上にあがっているようにしていたら忙しいし(自分のあり方を方向づけていたら)
ただ上に向かっていれば、そのほかのことは起こらないもの。

自分の全部を演奏に注ぐ。

ただ首を自由にして、全部自由にしてパニックを取り除く。
自分に加える、押しつけるもの、びっくり反射を除く。

首に起こることを止めてあげる。



VM

ビブラートの問題はありましたし、その原因は、弦を奏でる際に自分が、
特定のやり方で指を接触させていたからでした。

腕が動くやり方も関連する問題でした。

ひどいビブラートの問題が自ら解決し調和したのは、驚くべきことです。

逆に言うと、指を弦に接触させる状態が不適切で不正確で理不尽なままであるのに、改良を進めようと特別にビブラートの練習をしたとしても、単なる時間の無駄に見えます。



y:
>ヴィヴィアン先生の授業メモより

指の感覚を、もっと実際の弦と弓と毛の感触に。

指が、考え・選び・決める。
神経学的に、「細胞ごと考える能力がある」という仮説もある。



VM

カサルス氏から学んだことは、何たる非凡だったのでしょう。

初期の段階で、正確に正しい時に正しい場所へ正しいやり方で正しい指を置く、すると必然的結果としてすべての事柄が生じると、自分が教わっていることはあまりにも基盤的なことに思えて魂を直撃しました。

「正確さは楽譜から抜き取って」、耳で聞こえるようにして初めて得られます。


JA

筋肉の動作を通してということですか?


VM

はい。それに加えて精神的な正確さも必要です。

同じ事柄の両面に過ぎず、両方が不可欠です。

・・・自分の一番深いレベルで起きた体験がキラキラ輝きだします。

正しい音を正しい時に奏でること、単にそれだけなのに、確実に根っこまで関係します。

自分自身がそこまで関わらずにはいられなくなります。



y:
いかなる人間活動のプロセスも「精神的」か「身体的」かと分けることは不可能である。(アレクサンダー)

>ヴィヴィアン先生の授業メモより

コントロールは選択できる。
他のことと格闘しないで選んだことをやる。

一つ一つの音を一つ一つやればいいだけ。
その一音が形を構成していく。



VM

カサルス氏の卓越した演奏において、他の人が同じようなやりかたをあまりやらず、彼だけがやっていた部分を思い出してみると、「語る」のと「歌う」のと同じようなチェロの演奏のやりかたです。

『歌う音質は美しい音質であり、美しい音質は歌う音質である』

彼は色合いの幅を倍になるくらい増やすこともしました。

そのとき使ったのは「ビブラートなし」演奏法です。


ビブラートなしでやるのが現実的なスタート地点です。

ビブラートは特別な成分として、必要と思われたところに使います。

なんでもかんでもビブラートでオブラートに包んでしまうようなことを、彼は絶対にやりませんでした。


それは一つの表現方法としてかなり使える可能性があります。

チェロの音に幅を持たせ、一つの筋の通った部分を成します。


場合によってビブラートなしが「必要とされること」です。





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ヴィヴィアン先生の言葉を思い出し、考えています。


y:
先生がクラスで話されていたメモ。

カザルス氏は、全くビブラートをかけないということも良くやっていた。

彼の表現はベルカント唱法的なものでなく、
ただ話す、というようなスタイルが表現に入っていた。

彼のチェロが話し、時々つぶやいた。
音のレンジがものすごく多様だった。

コントロールは選択できる。
他のことと格闘しないで、選んだことをやる。

1つ1つの音をやればいいだけ。
今の音から生まれてくるもの。

「今しかない」
次来ることに対して、今できることはない。

今にいることをする。


「カザルス物語」「カザルスとの対話」という本など、
チェロにあこがれていた高校生の頃に読んでいました。

そんな記憶もどこか深くにあったようにも思います。


    ******

≪「自然に演奏してください」パブロ=カザルスの教えとアレクサンダーワークの共鳴 (2011年第1刷発行)≫から授業とのつながりで興味深いところを引用してみました。


本文は対話方式です。

 『』はカサルス氏のことば VM「」はヴィヴィアン・マッキー先生
 JAはジョー=アームストロング氏

 y:私の補足ガイド・コメントです。
特にキーワードになりそうなところを太字にしてみました。

         
y:ヴィヴィアン先生は、ハイドンのD-durから学んでいます

VM
コンチェルト第二主題はじめのフレーズにあるグルペット(ターン)ではすべてに装飾音があります。
グルペットは本来そういうものでアクセントを持って始まります。

長い音の中に小さな音がある時は常にアクセントを伴わなければならないと教わりました。

そのための運動を見ていくと、そこで何か斬新なすごく大きなエネルギーがいるとわかりました。

はじめてそのように演奏した時は、まったく違った感じでした。
やっている最中に、まるで木槌で木の実を割るような感じでした。

しかし、何が起きたか、すぐにその結果が出ます。
小さい音をものすごく元気よく弾くと、その音はくっきり際立ちます。

そうすると装飾音がうっとりするほど美しくなります。
そうしたことを体験しました。


1回の弓でなるべくたくさんのクレッシェンドとディミニュエンドをやるように学んでいきます。

単純に平らな長音など音楽には存在しない、とカサルス氏は言われました。

音楽の音は必ず行くか来るかどちらかになります

単にまっすぐな長い音だけが存在する場所はありません。 
人間の耳は、こういう単調な音についていかないし引きつけられません。

一方で、さまざまなクレッシェンドとディミニュエンドを学んでいけば、様々な弓使いを学んでいることになります。
やっているとだんだん無数のニュアンスがほしくなります。本物の音楽にはそれがあります。


・・・1つずつすべてが美しいのです。
曲の断片を演奏しようとしていたときの出来事を話します。

三つの音にじっくり時間をかけて、すべての輪郭が完璧に象られ、完璧に色彩が彩られるように観察して、クレッシェンド(だんだん強くなる)とディミニュエンド(だんだん弱くなる)も同じようにやっていきました。

ある特別なものか、別ものかになりますが、1つの音がダメだと全部ダメになります。

なぜなら、すべての音が1つづつこちらへやってくるか、あるいは向こうへ行ってしまうかのどちらかになるからです。

とても特別なカサルス流の演奏として、この行ったり来たりが私の心に残っています。

単なるアップビートやダウンビートを超えて、特殊な別次元があります。
音楽はただ鳴っているというよりも、遠くへ行ったり我々に近づいてきたりできるからです。

そこが得心できれば、私の表現で言うところの「ペース」が出来上がってきます。
テンポとは別のものです。

・・・小さな断片を光に当て賞賛して美しさを知るということをやっていた・・・。

・・・その結果として色彩や陰影、生地までもが見えてくるのです。
きつくするところ、ゆるくするところ、展開するところなどいろいろあります。

しっかり時間を取って実験してから、それを全部実際あるがままに返してやるのです。

・・・自分に何が必要でなにができるのか、どう働きかけるのか、そのときになれば、やることはおのずから表れます。


JA
何に焦点を当てているのかわからないことは一切やらない。

なんとなくそのまま続けると、実際は変えていかなければならなく箇所が温存され、それではむしろ悪い癖が助長されるから、そのまま続けるのを<やらない>、それがカサルス氏の練習方法でしたか? 


VM
はい、おっしゃるとおりです。

VM
主に「今ここに」あるためにワークする、するとまた次のワークがやってくるという具合でした。
1度に1つずつだったのです。
人生がそうであるように。

「現在起こっていることはこれです。次に起こることはあれです。と思ったらいかがでしょうか。


VM
非常に少ないカサルス語録のなかに『必要なことだけやればよろしい』というのがあります。
「それは賢いアイディアだ」と思いました。

時々必要なことはずっとずっと向こうに、自分がやったこともないくらい遠くにありました。
必要がある、だから私はやらなければいけない 、と。

しかし大抵の場合は以前やり過ぎていたことを減らしていく作業だったようです。


何事も、こうやらなければいけない、というのはありませんでした。

実に、完全に「結果にあわてていかない人(not-endgainer )」に生まれ変わっていました。

それまでの学びをしてきた以上そうならざるを得ませんでした。手段に忠実であることを学びました。

十分な注意を払って適切な手段を用いれば、結果にあらわれ、ほしいものは必ず手に入ると、F・Mアレクサンダー氏も述べています。

何かを計画して成し遂げるならば、十分に注意を払い、全体として上手くいくようにするのです。

自分の欲しいものがあるなら、手に入れる方法をあらかじめ知っておく必要があります。

何を演奏したかを自分の耳で実際に聞けるようにし、再学習していかなければなりませんでした。

こうなるはずだという思いが強すぎると、その思いに覆われたままになって、実際に自分の演奏している音を聞かないという勘違いがしごく簡単に発生します。


まず計画しなければなりません。
その後に実行します。
良かったか、良くなかったかわかります。
計画が十分によければ、当然結果は良くなるに違いありません。

必要なことをやるには大変な努力が要ることもあり、しばしば以前のやり方以上にやらなければならないことも起きると分かりました。

やることがずっとたくさんありました。

あるいは一方で、必要なことだけをやるにあたり、やっていることをずっとずっと減らす場合もありました。


       ******


y:
生徒さんと会話していて、
ときどき面白いことがあります。

レッスンで生徒さんに
「演奏する時に、ずっといちいちこれを考えるのですか?」
と聞かれることがあります。

例えばボーイングでは、
発音する瞬間や、弓を返す時の意識などです。

初めての時はえっ?!と思いましたが、
何回か聞かれて、そうかなるほど思いました。

いつかできるようになったら、
考えの中に含まれて、必要になったとき、考え続ける労力は減っていくけれど、
できることが増えるってことは、
考えられることが増えていくってことなのではないかしら。


扱えるようになる考え。
そのときそのとき、「必要なことをする」考え。

全自動で、いつのまにか弾けるようになったらいいなと思うでしょうけれど・・・(笑)

やることは自分の中にあることと、取り入れた考えですね。
また一方で、必要かどうか考えることは、
とても大切だなとも思いました。

楽しむこと、興味を持つことが上達の秘訣だそうです。

1つ1つ何をしたらいいか、
必要なことをを丁寧に、
楽しんで考えていきましょう!


「自然に 3」へ続きます。


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ヴィヴィアン先生の御本、
≪「自然に演奏してください」
パブロ=カザルスの教えとアレクサンダーワークの共鳴 
(2011年第1刷発行)≫


生徒さんにお貸ししていたのが戻ってきました。
少し難しいというご感想でした。
そのとうりと思います。

それでも、そこにあらわされた内容を想像するに、どんなことを表しているのか興味は尽きません。



カザルス氏から学び、チェロ奏者でありアレクサンダーテクニーク教師として、その人生を語っています。

先生の探求の旅路とは、どんなものなのでしょう。


先生の序文の言葉によれば、「海外留学して磨きをかける」くらいのつもりが、プラードにたどり着いたときから長く険しい道のりが始まります。それまで学んだことと全く正反対の学びでした。

その後の長い年月にわたる音楽家・教師の経験によって、全体がいかに複雑かを知ることになったそうです。


序文は<本質は全体として体験されており、プラードの町にいたころからすでにそこにありました>と結ばれ、「きっとみなさんも『自然に演奏してください』のお話の数々に触発され、考え方まで広がるでしょう」とも述べられています。
    
カザルス氏のレッスンについてのエピソードなどから、それにまつわる一部印象的なところを引用して、少しご紹介します。


抜きだしたことで、原文のニュアンスが伝わらないかもしれませんけれど、そのエネルギーを感じ取っていただけたらいいなと思います。
本文は対話方式です。
  

『』はカサルス氏のことば 
VM・「 」はヴィヴィアン・マッキー先生
y:私の補足ガイド・コメントです。

キーワードになりそうなところを太字にしてみました。



『自然に演奏してください』
『あなたは自分が何をしているのかわかっていません』

y:カサルス先生は、最初のレッスンで始めにこのようにおっしゃったのだそうです。
音大を出て留学をする頃すでにソリストとして演奏のキャリアを重ねていながらも、この言葉から学びがはじまります。


VM
はじめての正式レッスンでハイドンに取り掛かり、スケールから始めました。
非常にゆっくり演奏していくのです。

やりながら、なぜ左指を常に同じ角度になるように弦に置くのかと質問されました。
(それまで私は、常にそうしろと教わってきました)。

次に、すすんで前腕を少し回転し角度を変える技法を見せてくださいました。

そうすると指を抑える方向がブリッジの方を向いてずっと自由に手を伸ばすことができました。

行ったり来たりできるように』、『そうすれば柔らかくなる』

・・・(手のひらをエンドピンの方にむけるようにしますが、これは古いスタイルと思われているようです)。
そうすると、人差指から薬指まで伸長させる能力が行き渡り、とりわけ中指と薬指が良く開くようになります。


・・・カサルス氏は何かしら、『しかし、柔軟にあるいは自由に』というようなことをワーク中ずっと教えていました。
その際手、手というものをどうみなしていかというと、
手は指と全部をまとった家族のように動かすところであり、
それぞれの指は各自独特の役割を担うところまで明確でした。

彼による指使いは、
強い人差指があり、
人差指と中指は非常によく伸張する関係があり、
中指と薬指は少し一緒に動きたがり、
小指には驚くべき強さがある、
となされました。

動きたがらない方向にムリに指を動かすようなことを、彼のやり方では一切しませんでした。

つまり、カサルス運指には、それぞれの指に独立した働きがありました。
それぞれの特性に合わせた一番うまくいく方法になっていました。

結果として、非常に独特な運指法になったといえましょう。
カサルス氏はこの(生理的な)伸張を知っていました。


高いD(レ)の音に上がって行こうとしたときのことです。私は失敗しました。・・・
「彼はそれでは一緒に探しましょう」と言って、二人で同時に演奏しました。

何度も何度も一緒に音を出して、とうとう二人が完璧に美しくぴったりするところまできました。
そこで私の耳が拡がり、大きくなりました。

我々はDを見つけました。納得できるまで部屋をその音で充満させ、しずくが沁み込むように、毛穴から皮膚を浸透していくように、同時に耳、目や、鼻へも沁み渡るようしました。
Dに洗われて酔っ払いD漬けになったのです。・・・


『これですよ。ここにDがあるのですよ、どれどれ』
と言いながら右手を使って左手をずっとたどるように、指板を押さえている指先から沿ってもっと上へ、
自分の肩の方へ、ずっと流れるように示しました。

そのとき突然自分の腕を使えばDはどこにあるか知ることができました。
いや腕だけというよりも、すべてを使うことでDがどこにあるかわかると教わりました。

単に指板を押さえるだけでは音は出ません。
どのように指板に関わるか、私と指板の関係性によって音が出ます。それだけのことです。

・・・関係性私全部から生じて、指板のある点へ向かって行きます
そこが大変重要です。
それからカサルス氏は『さあ、これでDがどこにあるかわかったからそこへ行こう』と言われました。

・・・すると、すぐに行けました。・・・全く問題なくそこに行けました。
そして『行き先がわかっているのいなら、その旅は何の問題もないのです』と言われました。
筋感覚の要素があるからです。

それ以来この考えを持てば、誰でもどこに音があるのか知ることができ、何の干渉もなくそこへ行くと分かりました。

『ごらんなさい、指先の一つひとつを』・・・・フランス語で『脳の営業支店があるでしょう』といわれました。

・・・そのとたん、指こそ知っているという新しい考えが全部一度に沸き起こってきました。

私の注意力を目覚めさせるように、氏が自分の右手をずっと左手に添わせて上の方へ動かして見せた時・・・その時に舗装工事は済み、新しく分かりやすい道になりました。

次に本当に指の支店を選べば頭の「本部長」にいちいち指示を仰ぐ必要はありません。
責任を自分の指に任せても一向に構いません。
キラッと一瞬で私は了解しました。

・・・大抵は、毎回一つの指一つの音を弾けばよいのです。
その一つを「」使っています。

長い長い音であろうと、小さな小さな音であろうと、
たった一つの指で操作して、「今」やっています。

次の音に移る時が来たら、次の指が責任を持って、「今」を選んで次の音に行きます。

つまり、一つ一ずつの指が分化して、脳からの関係をずっと持ちながらも、独自の決定で動くのです。

そういたやり方で、次の音でどこをおさえるか、
指そのもので知ることができ、おのずから選ぶことができることを見せてくださいました。

だから私はその考えを使って対応することを、手に入れました。
すべての音が、指板の上にある気付けば、後の仕事は選択するだけです。

頭の中にある以前に聞いた何かの音と一致する音を、希望的観測を持って探す必要はありません。

ある音を見つける能力が高まれば、次の音との関係も深まります



*****

y:私の補足ガイド・コメントです。

y:
指に脳の支店があるというお話は、とても面白いですね。

こちらは、身近なお話し(笑)

レッスンしていて生徒さんがある程度、指使いや音程がわかってきているのに上手く弾けない時は、左手に意識が行きすぎて、右手が良く働いていないことがあるように思います。

指使いや音程が最大の関心事になっているのです。

右手のボーイングに意識を向けてみます。

指のことは左手に任せてしまい、右手で響く音を出すことを主に意識をするように切り替えるとどうでしょう。
例えば、右手8割・左手2割くらいのつもりで考えて弾いてみます。

よい響があると、音程がもっと良く分かってきます。

弓が弦とのつながりが弱い時に、頼りない感じがして左手に力が入ってしまいやすいこともありそうです。

右手で意識的に楽器とつながっていることで、左手も自由に軽く動けるにようになると思います。

両手が協調し、身体全体のなかで働くことを思い出したいですね。



本の話、次回[自然に~2]へ続けます。

 

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今、考えていること

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ヴィヴィアン先生は、
カザルス先生に習っていた時のお話をされていました。


「こちらの音を弾いている間に、
次の音に対して、あなたに何ができますか」
というカザルス先生の問いかけがあり、
よく考えて、
今できることは何もない。とわかりました。
今、やっていることしかできない。

その問いかけは、
先生にとってその後の人生でなお、
大変意味深いものになりました。

「今しかない。」
が、たどりついた答えだそうです。

今やっていることの質について、
意識的であること。
本当に必要なことをやる。

アレクサンダー・テクニークのレッスンで、
「私は機能的かどうかを見ています。」
と、ヴィヴィアン先生はおっしゃいました。


     ******


機能的であるか。
関係性を考える。

どんな考えが、自分全体に何をもたらすのか。

やったこと、やったことから起きたこと。
これらをもたらす思考の関連性を考える。
ずいぶん前のことからも、ようやく今、気付いて学べることもある。

「どうだったか」という意識は、感情となって、
今と「やること」を飲み込んでしまうときがある。
過去を味わっていると、今を忘れる。


やりたいことがうまくいかない。
先走っているかもしれない。
先に進めない。
振り返ってばかりいるかもしれない。

関係性を見いだす思考から、
学びを信頼して、
ちょっと、今のスペースを持ち、
今「やること」を考える。


今、考えていることを、
自分に優しい選択にしよう。


    ******


ヴィヴィアン先生の本から、
≪序曲≫に書かれた詩をご紹介します。


私は耳にしたことがある
お話しする人がお話ししていたことを
そのお話は始まりの終わりだった
けれど私は話さない
始まりの終わりのことを

事の起こりなんてものはありはしない

だけ

若いとか古いとかいうのも今にはない
それにこれ以上完璧なものもありはしない

だけ

天国も地獄もありはしない

だけがある

ウオルト=ホイットマン
私のうた より


ヴィヴィアン先生の御本を再び読んでいます。
本の事をまた書きたいと思います。
      
 vivien      
  


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笑顔がもたらすもの

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少し曇っていますが明るい朝。
紫外線に気を付けて、日焼け止めを塗ります。
手の甲にも。大切な商売道具です。

4月から5月はヴィヴィアン先生に、4回の授業でお会いすることができました。
昨日はクラスメートに、「あれからなんだかすごく若返ったね!ファンデーション替えたの?くらい(笑)」なんて言われました。

あぁ、そうかもしれない!
影響をうけました。
あれから笑顔が上手に作れているのか、たぶん口角が上がって若がえって見えたのかしら・・・(笑)

ヴィヴィアン先生はとっても素敵でした。
いつもほっぺが丸く”にっこり ”しています。
先生の満面の微笑みから、学んだことがあります。
ヴィヴィアン先生のお話はこの先から

***

思い出したので、その前にちょっと昔話です・・・。


音大を受験しました。
実技試験の途中で東京にいたため高校の卒業式にでられず、
みんなとお別れもせず、なんだか変な感じでした。
もう1年頑張ってみようと浪人して、
大泉学園の下宿で一人暮らしを始めました。
結果は、予想していましたが落ちて大泣きしました。
私なりにとっても頑張った。やっぱりだめか~。
泣くことで区切りがつきました。

合格させてくれた大学の入学式に向かう朝、不思議な気持がしました。
嬉しい気持ちはそんなになくて、とっても静かな自分でした。
今を受け入れて、そして新しい生活が始まる。
入学式に向かって下宿から歩きだした時のことを、今でも憶えています。
まったく知らない人ばかりの中へ入っていく時、
違う自分になれる気がしました。
その時できることは、背中を伸ばして笑っていることだと、なんだか思っていました。

本番に臨む時はいつも特別な緊張感があります。
楽屋から「さあ行こう」と廊下を歩いてステージ(オーケストラピット)に向かう時、静かに自分と向き合って、背中が伸びていきます。
その時メンバーがいれば、ちょっとした雑談で笑えることが、とても楽にしてくれます。
演奏中は、たくさんのアイコンタクトがあります。
なにかちょっとしたアクシデントがあるものですが、ほんの一瞬なのですが、ん!と言う感じで、みんなが笑顔で受け止めていられると、ほんとに上手くやり過ごせます。
オーケストラピットだと客席から見えませんから、ちょっと大らかでいられるのかもしれません。
素敵な仲間に恵まれて幸せです。
      
***  



ヴィヴィアン先生は「もっと笑ってね、歯が見えるくらいに。」
ほんとに何度も何度も言われました。

先生の素敵な笑顔の作り方は、ほっぺがキュッと上がるように、唇をちょっと耳の方に引っ張るように、顎はゆるめ、口は少し歯が見えるように開けます。
そのようにして、はぁ~っと息が出ていき、口を閉じたら、鼻からすっと息が入る。
そんな呼吸を教わりました。(ウィスパード・アーという自分の使い方を見つめる、呼吸の練習です)
首が縮まずに、脊椎が伸びやかに頭に向かって上伸びていくように思い、頭はその上でバランスするようにしてみます。
そして笑顔。

笑顔が自分の協調作用(頭と脊椎に良いバランス)をもたらしてくれる。
笑顔そのもの、笑顔でいるようにすることが自分を助けてくれる、ということをあらためて知りました。vivian 140428_2207~001
笑顔になることで、自分のあり方を変えられる。
先生から、たくさん大切なことを教えていただきました。
先生の笑顔は、自分の在り方を思い出させてくれる。
ヴィヴィアン先生の笑顔は、いつでも思い出すことができます。

笑顔でいられたら、誰かを笑顔にできるかもしれない。
笑えないような時には、誰かの笑顔を思い出して。


最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
す。
 

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ヴィヴィアン先生に肘のことを教わりました。

その中で特に印象的だった表現は、「肘を落とす」でした。 
その意図は、チェロを弾く弓を扱う時の手首を柔らかくする、より必要な動きを得る柔軟性でした。
わかったこと。
そうすると 手首・肘・肩が、もっと自然なつながりを持って動く

腕の無駄な労力を減らし、より音楽的に必要な弓を扱う動作ができる。 
そうなると、さらに指先にも意識がいき、もっと動いて欲しくなりました。


<弓根元を使う時の、「肘を落とす」意図のために考えたこと>
モーリス・アイゼンバーグ著『現代チェロ奏法』参考

1.基本的には弓と弦の角度を直角に・駒と並行に
2.手首は手の甲より少し高く
   (手関節を屈曲:掌屈)
3.手首をくの字になるように持っていく
  (尺屈:小指を尺骨側ヘ近付ける動き)
  (親指の元側を指板寄りに近く出し、小指側のぽこっと出ている尺骨の茎状突起が中に入る)
4.腕の内側をチェロの側板に少し触れるくらいに持ってくる
  (肩関節の内転:腕を横から胴体の方へ近づける、脇を閉じていく)
  (もちろん技術演奏上もっと高い位置がふさわしい場合もある)

肘は動きの支点になるとき、肘が前腕を押し出していく。
弓の使い方によって支点は変化する。
前腕だけ使うということはなく、腕全体で使うもの。
それぞれの弦にふさわしい手の高さ角度を選ぶ。
上半身全体の回転(回旋)も必要。
上腕は身体の軸と繋がって動くように。
テキストには肉体のエネルギーを必要とする、とあります。


腕が、身体の軸につながるように使うには?
腕は身体の前側で自然な機能が働く。
肩を後ろに引いたり、上腕に力が入り肘が上がってしまっているときは、バランスがとれず、身体の力を本当に発揮する事は難しいのです。


「肘を落とす」、落ちるというのがミソですが(ヴィヴィアン先生は弦と毛の接触でも落ちていくという表現を使っていました)、さらにこれに「落とすように、たたむ」というような表現の動作も含むとどうかしら?と思いました。

招き猫みたいに手を動かして顔に持ってきてみてください(笑)
腕を少し身体の前に持ってくると、いろんなところがたためると思います。
そして、前に伸ばしたり、またたたんだり。

腕の<開いたり閉じたり>する動きについて試してみましょう。
腕全体、指先からの手・手首・肘・肩甲骨・鎖骨も動きます。
これらが腕の構造です。

腕構造全体で、関節を曲げる/伸ばすなどの働きを、いろいろやってみましよう。
どの動きが演奏や、作業に使えそうでしょう?

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身体・軸とのつながりで。

合気道は自分の使い方を機能的に優位に持って行きながら、相手の体の力が使えないように動かしてしまいます。
基礎動作に「船漕ぎ運動」というのがあります。
船を漕ぐ、櫂を使う動き。
腕から身体全体のつながりで、バランス移動によって生まれる身体の軸の力を鍛錬します。
この運動で、腕はむしろ力を入れず、スッと上腕を身体の脇に「引き寄せ」ます。
よく脇をしめると言いますがこの場合は、上腕・脇に力を入れるのではなく、身体の軸に添わせるということのようです。

半身の構えで前に出した両手を、船を漕ぐように腰へ持ってくるとき、体重を後ろ足へ。
身体は倒れず起こしています。
櫂を押し出すようにして、体重を前足にうつす時、手指も力を入れずポンと前下方へ伸ばします。
後ろ足の膝は伸ばします。
身体の勢いが後ろから前へ押し出されても、胴体は倒れず起きています。

またその次は反対の方へ力が生まれ、後ろ~前と繰り返します。
前後の動きの重心移動。
膝はつま先と同じ方向で、つま先より向こうへは行きません。
足の上に体重をしっかり載せられていて、(つま先・踵ではなく、足首のところが良いです)その方が次のバランス移動が力強いものとなります。

脚を左右に開いた動きにすると「シコ立ち」で、シコを踏む時は、左右のバランス移動です。
股関節の深く柔らかい可動性、上体を起こしておく脚と胴体の支え。
上下にいつでも動けるようなばねがある。
土俵入りの動きでみられる、両手のひらを上にして、両肘から先を下方へポンと落とす動作は、「呼吸法」といわれるもので、これも腕力ではない、胴体とつながって押し出される、合気道の力の根源です。

表現は難しいです。
たいへん未熟ながら、今のところ私はこのように理解しています。
しかしながら理屈ではなくて、まさに鍛錬によって養われる力強さです・・・ぜんぜん稽古が足りません(汗)。


最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。





 

ヴィヴィアン・マッキー先生⑤ すぐ弾く

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140508_1629~001今日は風が強いです。
窓の外ではすっかり緑の濃くなってきた欅の枝が、しなやかにゆっさゆっさ揺れています

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ヴィヴィアン先生のレッスンでの学びについて引き続き。

「余分に息を吸う動き
あらかじめ息を吸うということを1つ止めるだけで 
その後の事が整ってくる
そのことに気づくこと
演奏する時のさまざまな動きは 不自由さの表れでもある
準備することの多くは有害で (なぜかというと)そこには疑念があるから
演奏していないときに余分な準備をしない 
演奏する時は すぐ弾くことがとても大切」

音を出す、弾くそのときに、弓をさっと持っていけるように。
演奏する時の意識は、まず頭と自分全体のあり方。
そして、出したい音、指使い、音楽の流れにのる。
弦に弓が触れるときは、スッと落とすようにやってみます。

以前気にしていた音の立ち上がりは、問題なく気持良く弾きだせます!

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 今、ミュージカルのお仕事*でご一緒している、素敵な大ベテランマルチリードプレーヤーSさん。
ピッコロ・フルート・クラリネット・ソプラノサックス・アルトサックスを全部使って、
さまざまな場面でめまぐるしく使い分けての演奏です。

サックスのバリバリのアドリブから、クラリネットのデリケートな弱奏にすぐ変わったりと、曲調もどんどん変化します。
すごい技術を駆使されるのです。

実際本当においそがしいので、何か考えていらっしゃることはありますか?とお尋ねしてみましたら、
「力をぬくことかな。儀式のような、ちょっとした指を緩めること、親指とかね・・・あるけれど、だいたい何にもしないでそのまますぐ吹くのが、結局上手くいくね。」
と、まさにそのことをおっしゃいました。
わぁ、やはりそうですか~!納得。
 *(2015『Annie』青山劇場にて)



最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 
 

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先生のレッスンでは座り方、呼吸にも注意を向けて下さいました。

どんな呼吸をしているかしら?
息はどのように体に入ってくるのかしら?


菅楽器や声楽のクラスメートのレッスンでは、その都度取り上げられ、大変興味深かったのです。

ヴィヴィアン先生は、「演奏の最初に<吸いこもうとする>のをお止めなさい」とおっしゃいます。
これはなかなかの驚きです!

「身体のための呼吸と違う呼吸で始めないで
身体の中に息を詰め込まないで
無駄な息を吸わないで始められたら 
自然な流れで入ってくるから 必要に応じて息は入ってくるのよ

自然な呼吸で、肺に空気がもう充分にあると信頼して すぐ演奏してごらんなさい
まず一息で1フレーズ演奏し そこで<吸いこもうとする>のを止められたら
そうしたらそれから必要な息は ちゃんと<入ってくる>のよ

息が充分に出たり入ったりできるように 胸郭あたりの柔軟さが必要ね
重いものを運ぶ時は そのために必要な息が入ってくるでしょう?
楽器を持つことでさえも 必要な息は入ってくるの・・・」

さあ、演奏しようとする、その時です。何をしているでしょう?
必要だと思ってやってきたこといろいろあります・・・
以前、呼吸について私なりに意識して考えてやっていたことは、
まず演奏を始めるために吸って・・・(鼻で音がするほどでした)
吸うためにその前に吐いて、それから吸って・・・
テンポに合うように・・・フレーズ毎に呼吸をして・・・ 
実はこれらの事は<やっている感>はあるけれど、呼吸としてあまり役に立っていなくて、かえって演奏の邪魔になっていたようです。

呼吸について、考えてみたいこと。
・空気を入れようとすることで起きる動きが引き起こす身体の緊張をやめるために、吸いこもうとしなくていい。
・肺にある空気が、すでに充分にあると信頼する。
・必要な息は仕事の量に応じて入ってくる。

・肺は自分のどこに、どのくらいの大きさであるかを知っているといい。
・空気が取り込める胸郭の仕組みを知っているといい。
・吐いたり吸ったりは、閉じたり広がったりできる身体の柔軟性があるといい。
・頭は上方向へ、胴体は広く長く、全身が伸びやかに繋がりあってバランスしているといい。
・座り方も、立ち方も呼吸のしやすさを大切に。


そのようにすると、すっとスムーズに演奏に入り、自然な音の流れや音楽の勢いが、より充実して表現できるように感じました。



最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

  

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レッスンのつづき。
ボーイングのこと、を書こうと思ったのですけれど・・・

***

その前にちょっと考えたこと。
いろいろな先生に教えていただいて、ナルホドそうだったのかと改めて納得すること、えっ!それは新しい~!!ということ、ん~何だろうこれは??・・・というような、新しい情報による驚きや戸惑いの連続の日々。

あることがよくできない理由は、「ただよく知らないから」という部分がかなりあるのだ・・・
特に最近改めて思うのです。当たり前のようだけれど。


何かできることは、特別なことだと思ってもいる。
できるようにする為に、やるべきことを適切に知ることは必要。
どんなに遠回りをしても、いつかたどり着きたい、それを自分でもやってみたい!という思いがある。

素晴らしい先生に出会ったとき、そこに、答えがあると思う。
でもすぐには身に着かないもどかしさ。
「とってもむずかしいのよね」・・・
共感を込めてぽつりとヴィヴィアン先生。

でもみんながそれぞれ、もうその難しいものにすっかり虜になってしまったの!
可笑しいような、悲しいような、嬉しいような、現実。
先生の真実の教えに触れるとき、どんな生徒かは問題ではない。


***

さて、ボーイングの話に戻ります。
これはなかなか伝えにくいことでもあり、
私の場合で、充分ではありませんが書いてみます。

「弓(木の棒の部分)を、ネコを撫でてあげるように撫でてみて・・・
ネコが喜んで喉をゴロゴロいわせるみたいにね」
大好きだった、ミーちゃんを思い出しました。
「ネコは逆さに撫でるのは嫌いなの」
ついボーイングのように両方向に撫でてしまった!
指先で生き物に触れるときの気持ちを思い出します。
しばしミーちゃんとの思いでにひたり、その温もり手触りまでも思い出します。
「こんな風にやってみたことはありますか?こうやって弓の毛で弦を撫でてみて」

こんな気持ちの、優しい触れかたしたことなかった。。。
ロングトーンでダウンボー。繰り返し。とっても優しいタッチ。
<ネコを撫でるような>意図によって、手首、肘、肩の連動がより滑らかに柔らかく促されました。
そしてチェロらしい深い響きがして感動です。(しかしさらに練習が必要!)


<まっすぐの弓に手がついて行く>
弓先で手首は落ちていい。
弓元へ戻す時スッと、肘を落として。
その繰り返し。
私は肘が上がってしまう傾向があったので、そこがポイントでした。
少し慣れたらアップボーも。
手首は自然に戻る。
腕がもっと長く使えるようになって、頑張っていないようになりました。


そしてもう1つ、<弓は弦に落ちて行く>
移弦の時、繊細に落とす。
アップもダウンも。重さを移す。
弓を弦に載せる時も。
弓の重さがより手の中で繊細に操られる。
(かなりガツガツ、弦をつかみに行ってしまっていたことを反省!)

実際これまで生徒さんのレッスンで弓を扱う時、「力を抜いて」という表現は、役に立たないなぁと思う。
「肘を使う」も伝わりにくかった。

腕・手が弓を使うための、より<ふさわしい機能>を働かせる言葉を使って、起きて欲しくないことが起きないようにするための働きかけをすることが、とても大切ということなのです!

「こんな風にやってみたことはありますか?」の問いかけについて。
これに思い当たることがありました。
ネコは出てこなかったけれど、昔同じことを教わっていました。
私もレッスンで弓に手をはわせてみるように、やってみてもらうことがあります。

記憶をたどると。。。持っていた奏法のテキストに記述がありました。
≪モーリス・アイゼンバーグ著 現代チェロ奏法 三木敬之訳≫
やはりカザルス氏の弟子で、序文にカザルス氏の推薦文がのっていました。
私はかつて音大受験の為に三木先生に、丁寧にやはり一から教えて頂いていたのでした。
ちょっと繋がりました。
ここでヴィヴィアン先生に再び教わってみて、それがようやく、もう少し立体的に理解できたかもしれません。

腕の位置だけでなく、指示がその繊細なタッチに至っていたので、とても新しい感じがしたのです。
テキスト全体をまた久しぶりに読みなおしてみようと思いました。


パブロ・カザルス氏の言葉をご紹介します。
『思うことの美しければ、姿かたちも美しからん』
『人生、気力と優しさをもって臨まねばならない』



最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。

















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