チェロと歩む 

チェロ弾きの日々の氣付きと学びの記録。
チェロと毎日をもっと自分らしく、心地よく楽しむために。
~清野佳子のブログです~

カテゴリ: こころとからだ

前回、足のことでアレクサンダーさんの見つけたことについて触れました。
この先赤字部分です。

今回のテーマの文章は、学校の課題で提出したものです。
ですから、ここに正解を求めないでくださいね。
ご自身で本書訳を読むことをお勧めします・・・。
また書きなおすかもしれません。
自分の振り返り用に必要なので投稿しておきます。


彼は全部で4冊の著作があります。
4冊のコース(Bodychanceのブックコースです)に参加し終えました。
なかなか大変ですが、先生とメンバーとの課題を通しての交流があるので、なんとか読みすすめられました。
この課題は、教師養成の2段階に進むためのプロセスでした。2冊読むことが卒業課題。
アレクサンダーの著作は文章がなかなか読みにくいので、たびたび読み返し振り返ることで少しずつ学んでいます。。
本を読むと、頭は混乱させられます。必要なプロセス!
考えること、体験することについて、生きることすべてにまつわるものとして、問いかけはづづくのです。


アレクサンダーさんが生きたのは、第1・2次世界大戦前後に渡る時代でした。
人が幸せに生きるために必要な個人の在り方についての、深い洞察がありました。

それはまさに現在なお深く問われるべき内容です。
ほかの著作では、教育(再教育)について、個人と政治や社会についての関りも、鋭い考察を述べていて考えさせられます。

個人としていかに生きるか。
なぜ人は変われないのか?変われるのか?
どのようにして変わることができるのか?
深い洞察の旅路です。

 
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 F・Mアレクサンダー著「自己の使い方」より「テクニ―クの進化」内容要約 




F・M・アレクサンダーは、
人間という有機体を誤って使っている状態を改善するためのテクニ―クを進化させた。


それはいかなる人間活動プロセスも「精神的」「身体的」と分けることは不可能であるという考え方に基づいている。

自分の使い方において、精神的なものと身体的なものが統一性を持ってすべての活動で一緒に働いている。

 

シェークスピア作品の朗唱家として情熱を傾けて活動していたが、だんだん発声に不調をきたすようになった。

息を吸う時にあえぎ、息をすする音がし、声が枯れてだんだんと出なくなってきてしまい、不安に襲われていった。

 

医師の診断に忠実に従い声を出さないでいると症状は良くなったように思われたが、ついに大切な本番中に声が出なくなるという最も恐れていた事態となってしまった。

彼にとって大変魅力的な仕事を続けていく事はできないと思われる状態に落胆したのだった。

 

しかし、なぜそうなってしまうのか?
その原因についての問いに医師は答えることはできなかった。

実際の舞台での体験から、声を出すときの自分がやっていることに原因があるのだと考え、それをなんとか突き止めようと、自らの観察をすることにした。

 

声を出している時の自分が何をしているのかを1枚の鏡に映して、
話し声と朗唱についてじっくりと詳細に観察した。

朗唱において「頭を後ろに引き、喉頭を押しつぶし、あえぐように息をすする」という3つの事実があった。

それは朗唱において顕著に見られたが、実は現れ方に差はあっても普段にも共通する傾向だった。

朗唱において特別な要求に応えようとしてやっていることは、声がかれる状態を作り出していた。

 

それは有機体のいくつかの部分を間違って使っており、それを改善するためにはその誤用を起こさないようにするか、変える必要があると考えた。

 

さらに観察と実験を続け、息をすすることと、喉頭を押しつぶすことは直接やめられないが、

「頭を後ろに引くのを止められることで、他の2つを間接的に起こらないようにできる」

ということを見つけ出す。

これは自分全体の使い方におけるプライマリーコントロールとして、主要な制御要素の発見だった。

 

誤用を防止し有害な傾向を抑えることで、使い方を変えることができ、声と呼吸のメカニズムの機能に顕著な効果が見られたことから「使い方は機能に影響している」ことが分かる

 

発声の器官の機能は、胴体全体の使い方によって影響を受けていた

また頭を後ろに引くことは、ある特定の部分の誤用ではなく、背が短くさせるほかの部分の誤用と結びついており、そのことに関する別の誤用を防止しなければならないとわかる。

 

また、朗唱しているとき頭の引き下げてしまうことを止めるためには、
「頭を前へ上へとすること、さらに背中を長くすること」が、プライマリーコントロールに必要であるとわかり、これは、防止と行為を結び付けるという体験となった。

 

実験を重ねる中で、声を出すために頭を前へ上へとすると決めたとき、「実際に必要な意図をやっていると信じているのに、実際は反対のことをやってしまっている」という事実が起きていた。

 

望ましいと思うことを実行するとき「慣れたことを行おうと思えばできるように、不慣れな動作も同じように実行できる」ということが幻想であると分かり、壁に突き当たる。

 

さらに鏡を2枚増やし、どこで誤った方向へ行ってしまうのかを見つけるために実験と観察を重ねていく。

朗唱するという強い欲求があるときには、声を出す喉の使い方の問題だけなのではなく、それまで正しいと思って忠実に行ってきた足で床をつかもうとしている立ち方必要となる身体部分の全てをどう使うかということに関わる誤用(習慣的使い方)であったと思い当たる。

 

間違ったことを直そうとして自分の意図してやっていることについて、「正しくやっていると認識する感覚の評価」は実際にはあてにならないのだった。

 

いかなる動作においてもある部分の使い方は有機体の他の部分の使い方に密接に関わっていて、直接使われていない他のところも互いに間接的に影響しあっている

 

やろうとする刺激について起きる、慣れ親しんできた誤用は初めのうちはとても抗い難いものである。

自分の使い方にどのような指示を与えているのかと考えた時、あてにならない感覚に頼っていて、そのことがさらに機能低下を招いている。

 

本能的なコントロールと方向性では十分な人間の要求を満たすことはできないので、感覚を信頼できるようにする必要がある。

 

 

声を使おうとすることが刺激となり、本能的な感覚によって反応を引き起こしているので、本能的感覚に頼らない論理的な思考をするために、

「①使い方の分析をし
より良い使い方の手段の選び
これらの手段が機能するために必要なディレクションを意識的にだす」ことにより、
新しい意識的な方向性にかえられることが重要である。

 

しかしながら、それらを実行しようとするや否や、やはり本能的に反応してしまうので、
すぐにやろうとすることを止め(抑制)
習慣的なやり方を止められるような新しい意識的な方向性をとてもたくさん出し続ける必要があった。

結果達成の手段には、それを行う準備となる方向性をその度ごとに与え続けなければならない。

 

これは「活動の中で考える(ジョン・デューイ)亅という、
目的に沿った手段を得ていくために、
すべて一緒に、1つずつ順番にいくつかのことが組合わさっている活動のプロセス
を表している。

 

しかし、新しい手段よりも、習慣的に培われた使い方のほうが正しく自然に感じられてどうしても信頼してしまう。

望んでいる使い方の変化を達成するためには、自分の使い方を方向付けるプロセスを新しい体験のもとにおく必要があり、
間違っていると感じられても実行し続ける準備ができているような、論理的プロセスへの本当の信頼が必要になる

 

本能的な反応を抑制し続けられるように、ついに次のプランを採用した。


ある目的について

即座の反応をすべて抑制し、
必要なやり方を十分に考えた上でプライマリーコントロールを用いながら、
必要な方向性をその都度出し続け、
プロセスの1つ1つの手順を実行するその決定をするまさにその場面で、
次の3つの選択ができることが必要である。

 

ある目的を実行することについての反応を全て拒否する 

ある目的とは違うことを選択して実行する 

ある目的を新たに選択して実行する

 

このような「意識的で論理的な方向性」は「非論理的で本能的方向性」に優り、
新しい方向性を出し続けることができ、
目的の達成に向かって取り組み続ける行動が可能になる方法である。
.
・・・・・

アレクサンダーは自身の探求から、科学的な態度によって実証した。

そして彼の体験から見出したこのテクニ―クによって、
人間が行動の中で意識的で建設的な選択を行えることにより自らを導くこと、
その意義を彼のその後の人生を通じて人々に情熱を持って示したのだった。

 

以上


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最後までお読みくださった方、ありがとうございます。

ご心配なく。
これは、読んだだけではさっぱりわかりません。
アレクサンダーさん自身が、どんな学びも読んだだけで習得できはしないものでしょう、というように言っています。
でも誰もが人間として本来持っている変わらないものについての考察、再発見なのです。
難し…いや、興味いです。。



こんな時なので、身体に注意を向けることが多くなると思います。
健康状態について、変化があるかどうか、熱を測ったり気を配っていることでしょう。

前回は呼吸についてでした。
今回は足。
「足の裏はどんなかな?」
日々の暮らしの中でちょっとしたときに思い出してみてくださいね


わたしの中でずっと前からある言葉が折に触れて思い出されます。

『「足の裏はどんなかな」?と、思うぐらいでいいのよ。』

この言葉は、以前劇団四季の<ウィキッド>公演で初演のオーケストラのメンバーとして参加していた時のこと。
劇場のオケピットはとても深くて、指揮は小さな液晶画面を見て、音はモニターから聞くような状況でした。
毎回とても緊張していたのですが、その時の仲間に教えてもらったのです。

そして、ものすごい緊張の中でもう一つ自分で見つけて役立ったことは呼吸でした。
心臓がそれはバクバクするときに、鼻の奥の方で冷たい息を感じ、酸素を脳に送るというイメージでした。
これは注意力と、積極性を保つことにとても役立ちました。
(実際の呼吸の仕組みはカテゴリの呼吸 (8)をご参照ください)

後から、この2つはアレクサンダーテクニークに出会って、なるほど腑に落ちることでした。


全身は何らかの関りを持ちバランスしながら働いています。
足の裏に緊張があるときには、自分の動きのつながりを妨げるような力みが起きている。

FMアレクサンダーは、起きていた足の力みの気付きから、自分でやっていることとの関りを見つけたのでした。
以前必要だと思ってやっていた、地面を足でつかむようにして立つこと、それが声を出すときの不調と一緒に起きていたという氣づきは、彼の眼を覚まさせるような出来事でした。
その人の活動におけるある部分のどんな使い方も全体の機能に影響している、ということを見つけたのです。
アレクサンダーさんの発見についてはこちらへ:カテゴリ頭と脊椎 (8)

足の裏のことを教えてくれた人は、アレクサンダー・テクニークを知っていたのかな。


演奏しているときに、座り方が大切だったり、足のスタンスが動きやすさに関わっていると思ったことがありますか?
なるほどそうだなぁ、と感じたら思い出してみましょう。



足が繊細で、全身の動きやすさにかかわっているということは、ちょっとけがをしたり靴擦れでまめを作ったりするとすぐわかります。
深爪しても大変で、足はとっても敏感なところです。

足は太古の原初的なころから大地と繋がってきました。
重力と動き。この文字の成り立ちは興味深いと思います。
わたしたちは生きて動く、活動するとき重力と一緒にいます。
重さを生かし支えるために、弾力が備わっています。
身体のばねのような仕組み、どんなことが思いつくでしょう?

足の力は弾力の働く仕組みがあり、たくさんのセンサーがあります。
全身各所に対応するツボがあります。


最近はスティ・ホームで不活発になりがちです。
私は氣分が滅入るなぁと思うときは、その場でジャンプをしばらくします(笑)
足裏全体のバランスや弾力のあるばね脚とのつながりを思い、かかとが着いたらすぐ小さいジャンプで軽く飛び跳ねます。
重力の刺激が全身に伝わることは、機能に働きかける影響があります。

頭が脊椎の上でふんわり動けるようにと思ってみましょう。
脊椎のてっぺんは鼻の奥、耳と耳の間くらいの高さです。
頭が上に向かって、そして胴体が頭についていくように動く、
頭から脚がぶら下がっているように思ってみるとどうでしょう。
頭はふんわり乗っかっていて、ゆるゆると繋がっていって、足の裏から頭のてっぺんまで動きがあります。
無理なくやってみてください。
興味を持つと観察ポイントはいろいろ見つかると思います。

足の骨やアーチの構造については興味深いことがいっぱいあるので、また続いて書きたいと思います。

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

久しぶりの投稿になります。


少し静かな時間を意識してみます。
ざわざわと落ち着かない気持ちもあるかもしれません。



今の自分全体の様子と、自分の外の様子を繋げている情報について考えているときに、
自分自身の身体と考えと両方について「今どんなかな?」と、
静かなというのは、微細な意識と動きが全体の中で立ち上っている様子を思っています。


身体の中へ意識を向けると、身体の中に動きがあると氣付く。
身体の中から、身体の外に意識を向けると、自分が動きを起こしていると氣付く。

様々な場面の中で、選択し行われるその1つ1つのことがらが、
わたしたちを動かしていきます。


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最近ゴーヤの苗を植えました。苗から弦(つる)が数本出ています。
朝見たとき伸びた弦はフェンスに触れて、数時間後には弦を絡め、その日のうちにしっかりと巻き付いていたのです。
短時間では見ることができないけれども、意外な速さに目を見張りました。
植物はそのおかれた場所で、目に見えない繊細な動きを常に起こしています。

草・木が光合成し、水分と二酸化酸素を吸収し、酸素を交換する生命の営みをしています。
地球の環境によって、ちょうどよい酸素濃度を与えられなければ生きてゆけない人間の身体という宇宙に意識を移してみるき、自然の営みの不思議はまさに自分の中に起きていることです。
酸素を取り入れ、血流によって全身に運ばれ、二酸化炭素と交換される。
黙々と延々とそれが行われてきている地球にいて、身体の中で酸素が交換されなくなることが、現在の世界を覆っている困難を起こす肺炎の現象。


生命は循環する仕組みによってまかなわれる。
呼吸は必ず出ていき、入ってきます。
その時々の、変わり目を思ってみるとどうでしょう。


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必要な行動を起こすために、少し静かに考えます。
どんよりと思い気分がやってきたら、それに気づいて、ちょっと脇に置くようにしています。
呼吸も観察できますね。
呼吸の小さな氣付きは、いつでも自分全体の働きの何らかの指標となるでしょう。


自分が動きを起こしているのを観察してみてください。
自分の中から自分全体に意識を向けて、
身体の中から、身体の外へ意識を向けてみてみましょう。

どうぞ安全に、お気をつけてお過ごしくださいね。


最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。







ステージに上がる時に、
自分の全体を思い出しながら、今いるところから、周りの様子を見ます。

空間の広がりや、そこにあるもの、そこから感じられるものと、
これからやりたいことを思います。

自分のいる所。
そこに一緒にいる人たち。

演奏を聴くために、弾くために、そこにいます。
みんなの思いは、やりたいことのために結びついています
その空間に一緒にいます。
近くも遠くにも、見えないところにも、一緒にいる人たちのことを思いだしてみましょう。

あらかじめ、そこは、どんな場所で、どんな質感で、
そこで、どんな気持ちがして、そして自分にとって好きなものや、
大切なことをたくさん思い出しておきます。
それらはみんな、全部今とこれからを応援しています

自分全体を立体的に思い出してみましょう。
周りの物や自分の身体に触れましょう。
指先が触れるものの感触を受け取り、楽器と一緒にいて、
人や空気の動き、音を感じます。
床と一緒にいて、足が触れる床の質感、足音、周りの気配もありますね。

頭が動いて自分全体が付いていきながら、
股関節・膝・足首の関節が動けて、歩き出すと椅子が近づいて、
自分を椅子の所に運びます。
脚がたたまれて椅子に触れ、座骨が椅子に乗り、
胴体が股関節から動いてバランスできます。足が床に触れ、脚はバランスを支えます。

自分なりの座るまでのシュミレーションをしてみましょう。
そうすると、何もしないときと何かが変わるかどうか、試してみてください。

座る前に、
ステージに出る前からも、出来ることがあるなと、その都度だんだん気が付けるかもしれません



最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。


どれくらいの力で出来るのだろうか?

と、問い直してみる時、必要だと思い込んでいたことを、
そうでもないかもしれない~と、思いなおす事ができました。

そこから、余分な力みが体に起きている時、
必要な動きを使えていなかった!と、わかりました。

ところが、「力を抜きたい」と思うことで、
他のところが頑張ってしまう事もあるのです。


これは一生懸命やろうとすることに、
結びついて起きていました。


まず、必要なこと、起きて欲しいことについて考えて、
そこからまた動き出していきましょう。


道具を扱う動きのために使う力。
動かして、そして支える働きがありますね。

例えば、指の動きにくい時、
観察してみると、
腕を少し後ろに引いて、
肩甲骨の動きを妨げていました。

そこで、腕と全体のつながりについて考えます。



そして、動きを妨げている固さを解放することで、
音に変化があるのだった!と思い出せたら、

頭がふんわり動けるように、
そしてその動きに自分全体が付いていけることで、
腕の骨の構造全体が指先の動きに協力していくと、
考えてやってみます。

必要な動きとのための支えが働くことで、
指の動きはずっとスムーズで楽になりました。


その時、何が必要で大切なのかを意識して、
自分全体にどのように働きかけるかを考えてみます。

なんとなく、上手くいく感じを求めて、
ついなんども繰り返してしうことはあるかもしれません。

その代わりに少し時間をかけて、
やりたいことに向かう時の自分を観察し、
次のやり方をあらためて選択してみましょう。

やりたいことの内容はとても繊細だからこそ、
観察力を磨きましょう!


本当に繊細な大切な望みに向かうその道筋に、
新しい可能性を取り入れるヒントがあります。

一緒にやってみませんか?



ワークショップ開催します
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「心地よく自分らしく音楽したい人のためのワークショップ」

① 9/15㈰ 第1回
 立つ座る動きやすさと演奏/骨で支える
    ワンポイントレッスン
 やりたいことのための、はじめの一歩、その鍵は?


②10/13㈰ 第2回 
 腕の動き動きやすさと演奏/骨を動かす
   1回目のおさらいから、アクティビティを中心に
 やりたいことのために、次の一歩に向かうためのポイント。
                        

最後までお読みいただきありがとうございました。                


前回のブログは動き出すときに何をしているか、
そこにどんな考えがあるかについて触れました。

動きだす前には、何をしているでしょう?


これからやろうとすることを思う、
やると決める瞬間を眺めてみます。

やると決めてやるのか、動いてしまったのか、
そのちょっとした違いに気がつくことがありました。

すぐやることに、ものすごく一生懸命になっているのだと思ったのです。



例えば、クラスで、「では立ってみましょう!」と先生に言われたら、
すぐに同意して立ち上がりました。

なんのために?など考えず、
言われたことに反応してすぐ従うことを、疑わずやっていたのです。
それは先生の引っ掛けでした。
「ね、すぐやっちゃうでしょ?(笑)」と


それに、普段話を聞きながら、とてもたくさんうなづいていました。

ある時、電車に乗っていて。
隣の女性が、お友達とおしゃべりしながら、ずっと頷いています。

そのたびに椅子がユサユサと揺れ続けました。
隣にいる私の身体もユッサユサ揺さぶられました。
あぁ、話を聞くことにも、こんなにもずっと全身で反応しているものなのだなと。

それは、あなたの話をちゃんと聞いていますよ!
という意思表示だけの事かもしれませんし、
そうですね、という同意かもしれません。

その人の動きにちょっとびっくりしたのです。
いっしょに揺さぶられていることを、少し不快に思っている自分にも気付きました。
電車の中で話しているとき、夢中で周りのことが見えなくなるのよね・・・
気を付けなくっちゃ。


会話は、情報を受取りつつ、反応しています。
聞いていますよ、と意思を示すのと、
そうですね、同意するのに、
うなずく他のやり方もできるでしょうか?

すぐ反応していると気が付いて、
ちょっとした間を持つことをやってみるとどうでしょう?
話したくなる、うなずきたくなる、ウズウズした自分がいます😂


何を感じ、何を思い、今何をしているのか?
ちょっとした自分への観察、そんな視点は、
これからやろうとすること、どんな動きをしていくかと結びついていくのですね。


うなずきを繰り返しやってしまうことに、気がついて、
ほんの少し間を開けてみるという”遊び”を入れてみたらどうでしょう?

すぐ返事を「ハイハイ」としてしまうなら、
「ハイ、・・・(間)わかりました。」
ウンウンとうなづいているなと気がついていたら、
相手の目を見ながらしばらく聞いてから、・・・一回だけ小さくうなづく。
省エネです(笑)


「早くしなさい!亅
イライラした様子のお母さんの声が聞こえて来ることがよくあります。

「え?なんのために?どうして?今これが面白いのに?亅
お母さんを見上げた子供のそんな心の声が聞こえてくる気がしました。

お母さんの考えは、子供の素直な興味と違うところにあるわけで・・・。

そんなやり取りを見ているとき、どちらにも共感もできますが、
同意すること、すぐ反応する事を求めている自分にも気が付くのでした。



先生の話をたくさんうなずきながらハイハイと答えつつ聞いている。
先生の指示を聞きながら、話を聞き終える前にすぐ弾き出している。
そんな場面がありませんか?

もし、そのかわりに、言われた事を復唱したり、質問したり、
しばし考える時間を持つのを意識してみたらどうでしょうか?
そんな時間も大切なレッスンの内容になるのではないかしらと思います。


私は、自分の言葉に置き換えて言い直したくなる癖もありました。
それは私の反応として、自分の知っていることの中で置き換えようとしているのでした。


どんな考えでその言葉を使ったのか
そのまま受取り、繰り返してみる。そして考える。
その意味を、時にはそんなふうに味わう事も出来る。


うなずく以外の反応も選べるでしょうか。
「はい」に対して「いいえ」の選択もありますね。
いいえをどんなふうに伝えているかしら。

普段さっさと進んでいて、見逃していた自分の反応。
自分全体の新しい反応とちょっと違うやり方を選んでみましょう。
そうすると相手の反応も変わるでしょうか。
試してみてください。



最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。


レッスンで取り組んでみていること。


やり直したくなるところのお知らせは、改めてやり方を考えるポイント。
見つけた課題の為のプランを持ちましょう。


どこかで動きを止めていると、
動きにくい~、やりにくい~
というお知らせが来ています。

たとえば、弓先に力が入らない、または力むときに、
どこにどんな動きがあったらいいのか?

その動きを、自分全体の一連の動きと考えてみると?

・弓の重さを扱うための構造、
・動きを支えるつながり、
・必要な方向への可動性、
こんな要素も関わっていますね。


・そしてどんな音で、
・どんなことを表したいのか?
これを具体的に考えてみます。



考えることが、自分全体を動かしている。
動き出せる自分でいるように考えます。

ちょっと考える時間があると思えたら、
今何を考えているかに意識をむけたら、
そこに、今を深めていくコツがある。

自分全体を動かす考え、動きのつながりを含めつつ、
プランをもって動いてみよう。
観察の対象を持って練習してみよう。

やりたいことをやるために、自分全体の働きを思います。

今、動き出す自分全体のために。
1つやることのシンプルさを探求していく中で、
明確さと繊細さが増していく。




最後までお読みいただきありがとうございました。

楽器が響くために。

音がつぶれてしまう。そんなときに考えたこと。
強く弾きたい思いを、ちょっと手放す必要がありました。
強く弾きたいときの力みは、動きを鈍らせているのが明らかでした。



どうやって動くためのリリースをしたらいいのでしょうか?
そもそもどれくらいの力でできるのでしょうか??

今できる、表現はどれくらい?
どんな対比なのか。どんな風に鳴らしたいの?


アレクサンダーテクニークを学ぶほどに、
自分全体の働きの中で、何をしているのだろう?
何を考えることができるだろう?
という視点を持つ意味を、より信頼できるようになりました。


いつでも動き出せそうにしている。そしてあらためて選択できる。
意識的に、やろうとするそのタイミングを選ぶことは考えたいことの1つ。


なんだか全然うまくいかないという思いのところから、
観察をしていき、
うまくいきだしたとき、それが続くとき、
氣が付いたことがありました。


左手の指先には、弦に触れる繊細さを思いました。
あ、右の指は何をしているの?

右手の方は、弓の動きや、毛の接触に意図は持っていたのに、
指先の動きや感触を左手ほどキャッチしていませんでした。


指先の動きに、手と腕がついていく。自分全体の働きの中で。

道具が指先になる。
そのためには、指先に繊細さが必要なのだと、
あらためて氣が付いて、
弓に触れた指先が動きだしたら、
表現したいことを思う時、
左手の指先と一緒に協調していることが分かりました。

左右の仕事は違うけれど、弦に触れるための指先の感触は、
その響と直接につながっていました。

響につながり続ける指先。

やりたいことのために、
腕や手の先の、指の動きを、その繊細さを、
自分全体につながる働きの中で意識してみよう。



ああ、こんな風にも弾けるのだな~と自分の中では大満足の発見
この注意力と全体の自由さ、柔軟さを、持ち続けたいなぁ。

困難に思われる課題にチャレンジしてこそ、見えてくることもあるのだと実感。。。
その中の小さな発見からあらわれた小さなステップは、
好奇心と幸福感の両方を間違いなく満たしてくれた。




最後までお読みいただきどうもありがとうございました。


去年の2月は、武蔵野市民文化会館で室内楽のコンサートがあり、アレクサンダーテクニークを学んだ方たちと、実践的な学びのとても良い体験でした。

今年は先日、調布くすのきホールにて、ヘンデルの2つのチェロのためのソナタを弦楽の伴奏でソロパートを務めさせて頂き、貴重な体験となりました。
以前からたびたびコンサートのサポートをさせていただいていた弦楽合奏団です。花51304185_2213890698826644_6626761983674810368_n
この機会を下さった皆様、聴いてくださったお客様、ありがとうございました。

掛け合いが美しくもなかなか緊張感のある曲、原曲は2つのバイオリンのためのソナタで、弦楽合奏伴奏での音域・音量のバランスなどにおいて悩ましい点多々ありました。

ゲネプロでは、降り番の時にホールを歩いてみて、客席にも座ってみました。
居る場所で響の聴こえ方は違うことが分かります。後方座席では全体がきれいにまとまって聴こえ、
前の方ほどより各楽器がより生き生きと直接的に聞こえてくるようでした。


昨年は5重奏の室内楽、今年は弦楽合奏による伴奏でずっと大きな編成です。kyakuseki51135293_2213889122160135_6171633988763910144_n
椅子の位置や向きの調整をし、実際どのようにお互いに音が聞こえるのか注意してみます。

アンサンブルしやすいか、どう聞こえてくるか、みんなでアンテナを巡らしていました。
ステージ前面ソリストの位置で、当然ながら客席方向にウオンと気持ちよく響きますが、ステージ後方では時差で聴こえてきます。
各セクションリーダーと話してみたことも安心材料になりました。

リハが終わってからいろんな場所で、ちょっとづつ弾いてみました。
コンサートマスターの席、チェロのトップ・後部、それぞれとても興味深かったです。ステージ51184388_2213888978826816_456835712562495488_n


開演して初めの曲は、ホール客席後方で聴いていました。

立ち位置を変えてみる。
いろんな状況を想定する。
皆がそれぞれの状況で協力し対処しているという信頼。
そのような環境を認識しつつ、つながっている。
周りと良い関係性であると実感できました。
後はできることを精一杯その時やるだけです。

本番。袖にいる時もそんなことを思い出し、ステージでは客席を見渡し、知っている方を見つけました。
見守り、応援してくれる人もいます。
共演者とアイコンタクトをしながら演奏しました。
演奏の状況を少しイメージできたことで、ちょっとしたずれが生じたときにも、落ち着いて対応できたなぁ、と思います。

高揚して強くなったり大げさだったり小さかったり、響が暗かったり低かったり・・・。
色々起きても、あ、少し硬くなってるなと気が付いて、
何とかその瞬間をやり遂げる事に意識を向けました。
終わってホッとしました。
終わってみると、もう少し明確に意識的にできないかしら?なんて思います(笑)
この機会をいただいたことに感謝します。

どんな1回1回もチャレンジしたことが、貴重な財産です。
さあ、できるかどうかより、どのように考えてやっていこうか、
何を大切にしたいのかを考えていく練習しながら、
また次のチャレンジに向かいましょう!


最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。







次の言葉は、今は要注意ワードになりました。
ちゃんとやる
しっかりやる
ダメ
しないように

気持ちも体も、力んで固くなりやすい。
ほんとにどんより動きが重くなってしまうことがある。


上手くいかないなぁと思う時、
ちょっとは上手くやりたい、と普通に思います。。。

でもそこで、
本当に必要な意図が抜け落ちているのでははいか?
必要な動きが起きる指示をしているかしら?
と思うようになりました。

自分に対して、だれかに対しても。

ちゃんとしようとしてもうまくいかない。
とりあえず身構えて、頭と脊椎の関係を固めて窮屈に動きにくくしているのでは?



何をする?意識する??

頭が脊椎の上でふんわりと動けるようにしていることで、
自分全体のつながりとスペースを思い、
今やろうとしていることを考えられることが役に立つのです。



自分全体で
いつでも動き出せそうにしていられることで
意図を明確に
やりたいことを改めて考える時があれば
やると決めてやる
次の動きを新しく選べる間がある



そこから動き出すために、指示の言葉を明確に。
そこで「~する」と決める。
その言葉が自分をどう動かすのか?
必要なことは?と問いなおしてみましょう。

起きたことから、
こうするとこうなるね!と、
一連の考えをだんだん明確にしていけることが練習の内容ですね。



必要な時間をかける事も練習。
わたしたちは本当にさまざまな選択をし、そのほんの一瞬一瞬をつみ重ねているのですね。

何が起きるかやってみる。そう思ってみましょう。
そこから必要な情報を集めて、また、あらためて、やってみよう。



やりたいことをやるための道筋には必要な「間」「スペース」がある。
タイミングと言っているかもしれませんね。


「こうやってみよう。と思う。」
その「間」がない(から、できない)と思っている(本当にそう信じてしまっている)から、
必要なことがその時そこで選べないでいた!と気づけるかもしれません。


選択のスペースがあることに氣づきながら動き出すことができたら!
そこからの可能性を、また見出せる



「ちゃんと!」という言葉に出会った時。
「ちゃんとやりたい」という言うとき。
そのお知らせは、動き出す自分全体のために情報を必要としています。

その時、何を意識して動き出すかに注意を向けてみてください。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

関連過去記事
 いつものようにやろうとすること


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