伸びしろ・ゆとり・スペースを思う
何かと探し物をするとき歳をとると、だんだん探し物をする時間が長くなる・・・なんて言われますが、
自分もそう思う時が増えてきました。
鍵や、眼鏡を探したり。
片付けたり、置いたところを決めておくのがいいですよね。
ちょっと置いて、あれっと思う時、いろいろ行動をたどってみます。
えっと、手から離れる時どうしたかな?
気を付けているとき、自分のやっていることに意識的な様子です。
ここに置きましょう、と思っています。
どこに置いたか忘れたとき、何か気になっていることの方が優先して、手ばなすときに感覚的にも無意識的な様子です。
そのものとその場所の関係は、その場所の他のものとの関係性でもあり、何と結びついているか?で思い出したりしていますね。
動線や時系列を思いだしてみて、映像化してみます。
瞬間、存在の意識をなくしてしまうことで、記憶を薄くしていますね。
何かに紛れ込んで、隠れてしまう。
それがないととても困る!慌てます。
そこで、やっぱり指先から離れる時の、意識が大事だなと思うのです。
ものと空間の関係が、時間の中で映像として思い出せるメモリーって、実はすごいことですよね。
膨大な情報の中で、記憶されている小さな出来事たち。
どうやって?どんな風に?
どこで、?いつ?
ある物や事柄が大切だと思えたら、その記憶を少し思い出そうとするとき、
手の感触を含む自分の動きが関わっているわけで、
それは何でもそうなんですが、その時何をして何を考えていたか?
そのつながりを思いめぐらすのですね。
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さて、楽器を弾くとき、どんな風に記憶したり再現したりするのでしょう?
意識の中でどのくらいたどることができるでしょう?
音自体に形はないけれど、感覚や記憶や視覚や動きのイメージがあります。
上手くいかないときは、自分なりの、その意図やイメージがぼんやりしているということでしょう。
思い浮かべることができて、そしてやってみる。
さらに、変化させる必要があったら、
触れている自分全体と対象、手放すまでの感覚と動きを認識していく。
同じことを繰り返しているようで、無意識的になってしまうのではなく、
より繊細に受け止められることで、記憶しなおして様々に更新されていく。
知っていることも、忘れていたことも、すこし新しいことも、まったく初めてのことも、
その時とかつての何かが、つながりを持っていく。
なになに?!
ああ、そうなんだ!
え~~!
なるほど!
安心したり、ドキドキしたり。
共感したり、違和感があったり。
この今の感覚が大切な記憶。
「スペース」の広がりが在り、
動きには伸びていく方向性が在り、スペースの中でありありと変化している。
伸びていく可動性と、「伸びしろ」という可能性を思う、
今また関係性がいつも新しいと気がついて、
そのつながりは自分全体で起きていると思い出していること。
それが大切と思える時・瞬間が、「ゆとり」かも。
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音楽、書道も、合氣道も、みんな動きの意図を思う
どこか一緒で、どれもプロセスは果てしないなぁ。
今何をしているのか?その意図と意識を磨いていけたらいいなと思うのです。
それを面白く思い探求していく、変化のプロセスにアレクサンダーテクニークを思い出して使いたいわけです。
すぐ忘れちゃうんだ・・・なかなか覚えられないんだ、でも!
慌てず、がっかりせず、おおらかに、伸びしろを楽しみたいなぁと思う、今日この頃です。
探求心をもって意識的にいきていこう!
ボケないように、いや、ほんとに切実に(笑)
写真は夜明け前の空、上は今朝で下は3/1(確認訂正)の朝です。
毎日毎瞬違う・・・その記憶として。